
それはよく晴れた土曜日だった。一週間前に思いつきで六甲山に登って、「あまりに無計画すぎるのもなんですな」という体験をしたばかりにもかかわらず、「なんかえらい天気が良いぞ。なのになんでうちらは家にいるんだ」という気持ちになってきた。というのも、またも思わぬ休日を手に入れたからだ。先週、無茶な遊びをした興奮がまだ心の中で密かに燃えていたらしい。
いくら暑いといっても夕方から出かけるのは遅すぎる、というのが六甲山で得た貴重な教訓の一つだ。目が覚めた時点で、すでに午前は終わりかけている。「なんでもいいからとりあえず出かけよう」といつもの調子で号令したものの、妻は「ちょっと待て」と私をたしなめた。
で、どこに行くの?である。その通りなのだ。先週も何となくでかけて、その無計画ゆえに妙な不安に駆られたり手痛い出費を被ったりした。妻にとって、私は何度も同じ失敗をする馬鹿な夫なのかもしれない。いやしかし、今日こそはそれを払拭したい。だから、ここはなんとしても妻に気に入られるような提案を出さなくてはならない。思いつきで。
そういえば、妻は度々、奈良公園で鹿と戯れてみたいといっていた。ドラマ「鹿男あをによし」の影響だ。今年一月からのドラマだったので、かれこれ半年以上もそんなことを言い続けていたのである。ドラマを見ながら妻は「本当にあんなに自由に鹿と人が共生しているのだろうか。ドラマ上の演出ではないのか」という疑問を抱いたという。ゴールデンウィークに奈良に赴いたときには葛城山の一目百万本のつつじを見に行ったので、残念ながら鹿と遭遇することはなかった。ますます妻の疑問が深まってしまったのは言うまでもない。
よし奈良に行こう。思い付きではあったが、以前からの希望でもあったので、妻もそれならと賛成してくれた。奈良公園といえばとりあえず奈良駅だ。そこから歩いても三十分分くらい。バスで十分くらいで観光名所に行けるだろう。
奈良の町並みがふと頭に浮かぶ。駅から歩いた石畳の商店街。僅かに登りの傾斜を進んだ先で入ったファーストフード。半年以上も「もののけ姫」を上映し続けている映画館。コーヒーを頼むと煮干しがついてくるジャズの流れる喫茶店。商店街の突き当たりの池のベンチで並んで座って聞いた鐘の音。そしてそこでの秘密の思い出。
私は高校3年の夏ごろから、頻繁にこの奈良駅に通っていた。実家から一時間半もかけて会いに行っていたのは、その当時付き合っていたクラブの後輩だ。そういえば、風の噂に彼女も結婚して子供を授かったと聞いた。今はどこでどのように過ごしているのだろう。
私の胸に去来した奈良の情景は、もう十年以上も前から眠っていた気恥ずかしい桃色の心象風景だった。お互いに少しずつ背伸びをしあいながら、あまりに幼い恋愛感情をもてあましていた二人。焦燥感と充足感の反復横とびをへて、私はこのときに彼女から恋を教えてもらったのだ。といっても私はそれまでまっとうな恋愛経験もなく、かなりオクテだったため世間一般でいう派手な展開にはまったくならなかった。またその辺のところが彼女にとって大変不満だったらしく、実は男色なのではないかとなじられたことさえある。
ただし私は断じて「いくじなし」なのではない。付き合い始めてすぐに両親に会って食事をともにし、自宅に電話するときにも必ずご家族に挨拶をし、デートにしても映画を見たり散歩したり一緒に食事をしたりするだけで門限までには必ず送り届ける、そんな「真面目」な付き合い方しか知らなかったのだ。責任ある行動とはそういうことだと思っていた。しかし、若い女性にとって「良い子ぶって素直じゃない真面目」はけっして魅力的ではない。彼女の不満に気付かぬふりを続けていた私は、なんと同じクラブの同期生に彼女を寝取られてしまった。童顔でかわいかった彼女が、妙に大人っぽく綺麗になっていくのを見るのはとても複雑な心境だった。
奈良へ向かう電車に乗りながら、私はことの顛末の一切を思い出して、なんとなく沈んだ気持ちになっていた。あの「奈良」に近づいていくのは、やっぱりちょっと切ない。普通に奈良県に赴くのにはなんの抵抗もないのだが、奈良駅に行きそして奈良公園に向かうということは、私にとってあの「奈良」なのだ。
快速に乗り込んで三十分ほどが過ぎた。電車は都会をあっという間に通り抜け、そのほとんどは田舎の風景の中を走っていた。妻は私の心境などこれっぽっちも気にするでもなく、惰眠を貪る娘を抱いてニコニコと車窓を眺めている。いよいよ奈良駅が近づいてきた。車内アナウンスが聞こえる。そして電車が徐々にスピードを落とし始めたときに、ようやく私は「おや?」と思った。いや思わず口に出していた。私の知っていたあの「奈良」駅は、いわば一階にあり、線路は地面を走っていたはずだ。ところが電車はいつからかずっと高架の上にいて、見知らぬビル群と肩を並べているのである。
はて、ここは奈良なのか。私はせわしなく辺りを見回した。電車は更に速度を緩めて景色の変化もなだらかになる。あきらかに様子が違う。いや、もっと衝撃的だったのは駅そのものだろう。電車が駅構内に進入すると、近代的で真新しいホームが眼前に現われた。硝子でシースルーになっているエレベーターが印象的だ。ちなみに私の知っている「奈良駅」は、地面と同じ高さの線路が平面に広く連なり、終点を意味する車止めとレンガ造りのレトロな駅舎があの「奈良」らしさを象徴していたはずだ。
奈良についたのか?ここは奈良なのか?と用心深く疑いながら、私は娘を妻の手からバギーに移し、駅の改札を出た。ここでもう一度ショックを受けることになる。あまりにまったく知らない町並みだったからだ。実は私の知っている方面の改札口はもう一つ別にあったのだが、まさか改札が二つあるとは思わなかったので、仰天、本当にまったく別の土地にきてしまったのかと思ったほどだった。
反対側の改札口にぐるりと回ってみて、ようやく少し安心した。だいぶいろんなことが違って見えるが、なんとなく記憶と符合する雰囲気がある。旧駅舎としてあのレンガ造りの駅の玄関が残されてあった。ああ、これこれ、これだよ。と言いながら、私はバスを探した。歩いていけることはわかっていたが、記憶とだいぶ違ってしまっている街を知ったかぶりで歩く危険性と、そこを歩くことで蘇る切ないノスタルジーを拒否したかったのだ。
バスは五分と待たずやってきた。運よく座ることができたので、私は車内の様子を注意深く観察した。地元住民の人々は全体の約半数ではないかと予想された。残りの半数は観光だろう。外国人もちらほらいる。私は先週の六甲山での出来事をまざまざと思い出していた。あえてみんなと違う行動をとったために失敗(?)した体験から、私たちは「見知らぬ土地もみんなと歩けば怖くない」という貴重な教訓を学んだのだ。
観光で来た人たちが行くところには、それなりの目的と理由があるはずだ。私のように、なんの予備知識も目的もなく「とりあえず来てみた」人などそうそういまい。逆に言えば、このバスに乗っている人の約半数は、豊富な予備知識を元になんらかの目的意識を持ってやってきているはずなのだ。私たちとしては、彼らに従っていればまず間違いないのである。
バスは公園の外周にたどり着いていた。すでにバスからもひょこひょこと歩き回る鹿の群れを確認することができる。妻の興奮はひとしおだった。あまりにも普通に歩道を歩いていたので、私も少し驚いた。鹿は公園を歩きなさい。歩道に出んな。車内の外国人たちも少し色めきたっている。私は少し警戒の色を強めて、あたりの様子を伺っていた。
次か、この次か。みんなが降りるバス停はもうそろそろなのか。私は財布を手に、いつでも小銭を出せる体制で、バス亭に到着するたびに少し腰を浮かせた。まだだ。観光らしき人たちはまだぴくりともしない。この次が、本命のバス停だった。バスがバス停付近にきて、本命が大当たりであることを確信する。明らかにあたりに人が多い。人力車の人もいる。ここだ。私たちが子供を抱えてあたふたと降りる頃には、ほとんどの乗客はバスの外におり、みな一様に同じ方向に歩き出していた。さぁ、どうするか。ここで彼らの後を追わなくては、途方にくれてしまう。まったく行く当てのなかった私は、とにかく同じ方向を目指すことにした。
降りてすぐの歩道を渡ったところで、人力車のお兄さんに話しかけられた。「今からどこまでいくんですか?お乗せいたしますよ」と。正直困った。だってどこに行くのか自分にもわからないんだし「すみません、歩きます」と答えて歩き出した。道に沿ってお土産屋が百メートルぐらいに渡って軒を連ねている。お土産通りには無数の鹿が鹿煎餅をもらおうとたむろしていた。とにかく鹿が近い。しかも触れる。怖がる妻を鹿のそばに立たせて記念撮影。さらに妻をいじめようと鹿煎餅を買おうかとも考えたが、それどころではなかった。この日は記録的に無茶苦茶暑い一日だったのだ。バスを降りてからまだ五分といったところだったが、もうすでに噴出す汗でシャツはぐずぐずに濡れはじめている。空は底抜けに明るい。私は「これは水分補給をまめにしなければ危ないのではないか」と思い、鹿煎餅をよそ目にとにかく進行方向に向かって歩みを進めることにした。
目的地もわからぬままどんどん歩みを進めていくと、それにつれて人もどんどん増えてきた。その増え方は急で、しかも増えたのはすべて外国人であった。歩いている人すべてが外国人で、日本人は自分達だけなのではないかと本気で不安になるほど、極端に外国人が増えたのだ。そのほとんどは韓国、中国からのお客様だった。国まではわからないが英語をしゃべる白人の方々もけっこういる。あまりにのどが渇いていたので、どっと増えた人ごみを掻き分け、茶店のようなところにいってみると、そこは観光バスの巨大駐車場に併設された売店だった。外国人の群れの発生源に違いない。彼らの中でジュースを一本買うのに取り合うようにしなければならないことに大変なとまどいがあったのは言うまでもないだろう。
進行方向にさらに歩みを進めると巨大な古めかしい木造の門が登場した。ここはバギーで超えることはできなかったので、ここより娘も自分で歩き始めることになった。門を抜けると木立による影もなくなり、広々とした灼熱の空間に投げ出される。いよいよこの先が目的地なのだな、ということがなんとなく察せられる。しかし、それがなんなのか、どこにむかっているのかは、私自身まだかわっていなかった。
道が突然さえぎられ、門のようなところで行き止まる。門に連なるその壁は左右に果てしなく広がっていた。門には格子が嵌められていて、なぜか多くの人がその格子に張り付いて中を見ている。もしかすると、この塀の向こう側が目的地なのかもしれない。私たちは、多くの観光客がそうするように塀に沿って左に進み、そして誘い込まれるように塀の内側に進むゲートに進入していた。入ってすぐ「ここからは有料になります」という雰囲気にハッとする。やはりここが目的地だったのか。なんだかよくわからないけど、チケットを買わないと進めないらしいぞ。って、ここドコ。などとと思いながらも、ここまできて入場料をケチるのも馬鹿馬鹿しい。「なんだかよくわからないけど大人2枚」と言い訳を口にしながらチケット販売の人にお金を出そうとして、販売ブースの中の人の姿に驚いた。なぜか作務衣を着たお坊さんのコスプレのような人がいたのだ。なんか妙だなと思いつつ、購入したチケットには東大寺と書いてあった。
「おい、ここ東大寺らしいぜ。みんなこの東大寺を目指してきてたらしい」私はチケットを妻に渡しながらそういった。「え、東大寺ってなんだっけ。なんかのお寺でしょう」妻の質問に私も突発性健忘症になった。「あれ、そういえば教科書にものってるよな、なんだっけ」「あれじゃない、奈良の大仏」「そうだっけ。ここなの?奈良の大仏って」「あなた、奈良はけっこう身近だったんでしょ?知らないの」「知らないよ、お寺なんて興味ないし」「わたし大仏って鎌倉の大仏しか見たことない」「あれ、鎌倉だっけ大仏」「そうよ、鎌倉だよ。でも鎌倉のは確か野外にあって、車で走ってると急にでかいのがでてくるんだよ」「へえ、屋根ないんだ。ここは完全に屋根あるよ」「ホントだ。じゃぁ、大仏じゃないのかな」

今考えるととんでもなく恥ずかしい発言をよくもまぁ大声で話したものだ。観光に来てる外国人も、もしも私達の会話の内容を理解できたら、馬鹿夫婦となじられ石を投げたに違いない。日本の恥さらしである。私たちはわいわいと馬鹿な会話をしながら先ほどの塀の中を通って格子がはめられている門のところまで戻ってきた。相変わらず外からは多くの人たちが中を覗いている。この人たちは入館料を払わずに、そこで線香を上げて拝んでいるのだ。奈良の大仏を。
格子の門から、また炎天下を歩く。本堂までかなりの距離だ。無茶苦茶空が明るいせいで、薄暗い本堂の中はまっくらにしか見えない。一歩、本堂に足を踏み入れてなお「まっくらだなぁ」と思っていると、突如意外な近距離に驚くべき大きさで大仏が姿を現した。これにはさすがにびびった。「おお、本当に大仏だった」ここにきても馬鹿な発言を口走りながら、妻の手を取り、大仏の異様なでかさとそのあまりの近さに呆然と立ち尽くした。なんて迫力だろう。そしてなんたる作りこみの精巧さだ。また本堂そのものの建物も素晴らしかった。木造で世界でも最大級という建物である。あまりの迫力にあっけにとられてしまった。「さすがにこれはすごい。一生に一度は見るべきだ」などと、観光にきた外国人のようなことを言いながら中をぐるりと一周。建物のすごさがさらによくわかる。そして大仏の裏側の迫力も、これはこれですごいものがある。
結局のところ、さまざま展示物を見た感想は「凄い」と「怖い」だった。私は別にお寺を批判するつもりはまったくないのだが、やはり当時の仏教は政治的な思惑で布教され、その荘厳なる雰囲気と圧倒的な迫力で民をびびらせることに主眼があったのではないかと感じる。宗教にまとわりつく見えないなにかに感じる畏怖もあるが、こうしてあからさまに見せ付けられる怖さもなかなかのものである。こんな怖いものには逆らいたくない。
「やはり、みなが来るところにはそれなりの理由があるのだな」と感慨を深くしながら、若かりし頃の私にはこの感動はわからなかったに違いないと思っていた。もしも当時の彼女とここに来ていたとしたら、その無感動の記憶を頼りに「奈良には大仏があるぜ、見に行こうか」などと発言して「お寺、興味ない」と妻に反対されても「たしかに見ても面白いものではないよ」と返事したことだろう。わざわざ大仏を見に奈良までこない。私たちはそういう夫婦だ。しかし、何の予備知識もなく、ただ観光客についてきたことで出会えた東大寺はとても素晴らしかった。別に信心を呼び覚まされたりはしなかったが、文化や歴史に触れるということは、なにか人生観を変えてしまうような強烈な体験だと思った。

塀にもどり、反対側の出口へ塀の中を進む。外国人向けだろうと思わずにおれない奇抜なお土産を尻目に、私たちは帰路につく。夕方が近づいているはずだが、夏の日は高く、まだまだ暑さは緩みをみせない。東大寺へ向けて歩き出す外国人の人の波に逆らいながら、お土産街道まで来た道をもどってきた。だが、バス停の近くまで来た頃には、奈良の大仏に出会った感動や興奮はすっかり醒めて、あまりの暑さにへとへとになり、すっかり眠くなってしまった。鹿も見慣れると、どうでもよくなってくる。結局私たちは鹿煎餅を買わず、鹿とたいして触れ合うこともなくバスに乗り込み、電車に乗り継ぎ、そのほとんどの工程を寝てすごした。気付けば奈良を後にしていた、という感じで、なんだか夢のような数時間だった。
思い返せば、あの「奈良」なんてものは、もうなかったのだ。今あるのは、今の幸せな家族で過ごした奈良でしかない。つまりは「大仏の奈良」であり、「一目百万本のつつじの奈良」だ。
しかし、「奈良の大仏を見に東大寺まで行く」計画なんて絶対に立てなかっただろう私たちだが、行ってみると「奈良の大仏を見に東大寺まで行く」以外のことは何もしなかったのだから以外だ。まるで導かれるようにたどり着いたのだから、まったくもって不思議な体験といわざるを得ない。これを機に神社仏閣巡りでもしてみようかしら。






