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吉村ゴンゾウあわー

自作のショート・ショートや読書感想などをアップしています。気負わず適当にやります。テーマは「中途半端を恐れない」。

世界一気持ちいいマッサージとは

 公私ともに忙しい日々だ。あんまりつかれたので、マッサージに行くことにした。
 私は凝り性だ。いや、肩がこるとか腰が痛いとかもあるのだが、それ以上に、何かを始めるときには徹底して情報を集めてからでないと楽しくない性格なのだ。どうせなら、事前に集められる知識はすべて詰め込んでから体験したいと思う。そして一度踏み込んだらその道を極めてみたい。
 「身体の緊張をじっくり弛緩させて、あちこちで滞っている血の巡りを良くしたい!」というのが私の希望で、このような状態になった時、以前はスーパー銭湯といわれる施設でゆっくり身体を温めて安いマッサージを受けていたのだが、これが大してよくならない。温泉は気持ちいいんだけど、力任せの男のマッサージは痛い上にもみ返しがきつい。「痛気持ちいい」は歓迎だが、ただの「痛み」はいただけない。結局、温泉の効果が薄れてきた頃には、痛みが残るだけだったりしていやになった。
 キーワードは、縮こまった身体を伸ばす、血行改善、もみ返しなし。いろいろと探しているうちに「世界一気持ちのいいマッサージ」という単語にであった。この表現はある特定のマッサージを示すもの。タイ古式マッサージだ。
 タイ古式マッサージは、二人でするヨガともいわれるほどストレッチ系の技がとても多彩なマッサージだ。揉む、指圧、さする、つかむ、ひねる、のばす、持ち上げる、などさまざまな手技を使うことで、全身のエネルギーラインを活性化させるという。このエネルギーラインを「セン」と呼ぶ。センを刺激することで、センの周辺に集中する神経や血管が刺激され、リンパ球の活性と増加、血液の流れの促進、身体の痛みの緩和、自然治癒能力・免疫力の向上、などの効果があるとされている。
 全世界的に流行しつつあるタイ古式マッサージだが、その実態は2500年の歴史を持つタイの伝統的な医療の一つだ。タイでは公的機関である衛生省がタイ古式マッサージを管轄しており、その総本山がワット・ポーという寺院。このワット・ポーの修了認定証がタイ古式マッサージセラピストへのパスポートになっているらしい。
 このワット・ポー認定証は7〜10日間の修行で取得できるらしいので、気軽に留学して手に職をつけて帰ってくる人もすくなくない。そういう日本人や、本国から出稼ぎにきたタイ人などが経営しているタイ古式マッサージ店は日本中にゴマンとある。しかし、その技術においてはまさにピンキリで、マッサージなど2の次の風俗店から、岩盤浴からそのほかのエステも体験できる超高級複合店、女性専用の癒し空間や、ビジネス街にある大衆店もある。
 タイ古式マッサージが、私の望みをかなえてくれそうなカテゴリーであることはほぼまちがいないと確信しているのだが、はたしてどの店にいったものか。安ければいいというものでもないし、だからといって、妙に高い店や男性専門店となると風俗くさい。タイ人とのコミュニケーションもとれそうにないし、ビジネス街にあり日本人経営の大衆店を探すのが適当かと思われた。
 虎穴に入らずんば虎児を得ず。とりあえず会社から近いところで本格的で真面目にやってそうな店に目星をつけた。仕事を抜け出して、何度か店の入っているビルの前をうろうろとしてみる。看板に料金が書かれているが、120分8000円のコースがおすすめのようだ。タイ古式マッサージは時間をかけて全身のセンを刺激するため、基本的には120分間かけるのが通常らしい。それよりも短いものはどこかしらを省略した簡易的な施術というわけだ。しかし2時間も短い時間ではないし、8000円もけして安くはない金だ。
 私は看板を見つめ、う〜む、とうなり声を上げて、そそくさと会社に戻った。タイ古式マッサージについては結構くわしくなったが、これを体験するのはボーナスの取り分を嫁と話会った後になりそうだ。次こそその体験談を書いてみたいものだ。

復活しますた

 
 いやあ、忙しかった。またしてもブログを一月も放置してしまった。
 意識はあったんだけどね。なかなか、行動に移せなかった。自らの更新はできなくても、他人の更新はしっかり確認してたりして。
 仕事とプライベートともに無茶苦茶な一月だった。ものすごい勢いで振り回されて、気がついたらもう一ヶ月もたってたのか・・・、という感じ。
 ま、そんな中でも何冊か本も読めたので、読書感想文からでも始めてみようかしら。

今日も徹夜

 眠い。
 徹夜が続くと、体に堪える。もう若くはないということだろうか。
 激しい動悸と吐き気に思わず目を瞑れば、すぐにでも寝てしまいそうになる。
 仕事を溜めすぎるのは本当に悪い癖だと思う。ぎりぎりになるまで、というか、締め切りを過ぎるまで原稿に手をつけないなんて、プロとしてうんぬんの前に、社会人として失格なのだろう。
 しかし、締め切りを過ぎたところで、さすがにこれはまずいな、と感じるあたり、まだ救いようがあるんじゃないか。だめか。
 しかし、追い詰められて逃げ惑ったあげく、締め切り翌日の夜明けごろ、窓の外の風景が闇から白一色に変わっていく時間帯になると、不思議に筆が進みだすことがある。それまで一行も前に進まなかった記事が、スラスラと書けて気がつくと完成しており、妙なことに昼間書くより良い原稿に仕上がっているのだ。
 こういうことが一度でもあると、またそうできるだろうし、そうなるのならまだがんばる必要もないと判断してしまうあたり、失敗のスパイラルから逃げられぬ宿命を感じる。仕事のリズムはいったん遅れだすと、遅れたリズムのまま進行し、遅れはどんどん肥大化する一方で、永久に取り返しが付かない。仕事は溜まる一方で、しまいには一週間のうち半分くらいを徹夜する羽目になったりするのである。
 そこで帳尻があうと、また手を抜くんだな。俺は。
 ああ嫌だ嫌だ。

絶叫と安全は表裏一体

 ショッキングな事件が起きた。
 「こどもの日」で賑わうテーマパークの人気アトラクションで死亡事故が発生したというニュースは瞬く間に全国に行き渡った。テレビには見慣れた遊園地と、私自身も何度も体験した絶叫マシンが映し出されていた。そのジェットコースターは、全国でも数台しかない立ち乗りを特徴に人気を博し、導入15年の事故直前にも列ができていたという。
 まさか、あのジェットコースターで死亡事故が起こるなんて、と多くの人が抱いたであろう感想を私も共有した。現場に居合わせた方々は、なおさら大きなショックを受けたに違いない。「ガタガタ」というあからさまな異音と絶叫、脱落する部品や動かなくなった被害者などを目撃してしまい、口がきけなくなるほどショックを受けたという来場者の心境を考えると胸が痛くなる。
 遊園地におけるジェットコースターを最大の目的の一つとする向きは、私の知り合いにも少なくない。最大の目的とまでは言わないまでも、せっかくだからと必ず一回は乗るというタイプならその数はさらに増えるだろう。絶叫マシンと遊園地は切り離せない関係にある。だから、最近は遊園地に足を運ぶことも少なくなった私だが、けして他人事とは考えられなかった。当該車両に乗っていたのは、自分や自分の家族であったかも知れないと考えない人はいないだろう。
 不特定多数の人の命を乗せて走る乗り物が、絶対の信頼をまた裏切ってしまったという点で、2年前に起きた深刻な鉄道事故を彷彿とさせる。絶叫マシンとは言え、命が脅かされるような「恐怖」を求めているわけではないはずだ。そこには安全に対する信頼があるからこそ、安心して絶叫できるのである。絶叫を絶望に変えてしまったこの事件の早期解決、原因究明と再発防止を求める。

テーマ:許されない出来事 - ジャンル:ニュース

夏だ!お盆だ!お休みだ!

 明日からお盆休みに入る。ここのところ仕事が忙しかったせいで、自分の時間をあまり持てなかったと思う。せっかくの休みだ。ゆっくり本でもよんだり、ゲームしたりして楽しもう。

ミサイル発射

 ミサイルが発射されたそうだ。今のところ連続5発と聞いている。これによって誰かが死んだとか、誰かが酷い被害を被ったとかではないようだが、これだけ注目を浴びながらも発射を断行した以上は只で済まされるはずもなく、一体どういう意図でそれほどのリスクを背負いながら5発もミサイルを発射したのだろうかと気になるところだ。私はこのニュースを見て、憤るわけでも、恐怖に怯えるわけでもなく、ミサイルを発射しようと思えばできる、という状態について思いをめぐらせた。
 今、目の前に自分の意思で動かすことの出来るボタンがある。これを操作すれば、全人類の厚意や情や恋や愛を消し飛ばしてしまうほどの強力なミサイルが世界の各地に撒き散らされる。そのボタンを毎日握り締めて一生を過ごし、いつでもそのボタンに手をかけることができる。この状態を国家レベルから個人の話に置き換えればこうなる。今、目の前に一本の刃物がある。これを使用すれば、目の前の幾人かの人間を殺傷することが可能だ。小学校に侵入して無差別に見知らぬ小学生を殺すことさえ出来るかもしれない。いや包丁はいらない。一日のうちに他人を殺したり他人に甚大な被害を負わせることのできるタイミングは、おそらく数え切れないだろう。道路や電車などの交通機関ではおそらく毎秒がそうだろうし、ちょっと高いところから物を落とすだけでも充分な効果が得られるだろう。
 人は誰でも、彼の独裁者が選ぶことのできるのと同じ選択肢を持っているのかもしれない。やろうと思えば、いつだって無茶をやれる。他人を不幸にする選択肢を選ぶことができる。その恐怖の押してはいけないボタンを毎日握り締めて一生を過ごしているのだ。人によってボタンの先にある被害やその影響力の大きさが違ってくる。彼の独裁者の手中にあるボタンの影響力はいかほどか。
 ごく最近、その威力を見誤ったことで非難を受け誤りを認めたアメリカが、飛翔物の発射国に対してどのような対応を示してくれるのかにも関心がある。あまりに強硬な態度で強硬な態度とぶつかれば何が起こるかわからない不安もあるが、下手に出てばかりもいられない状態だ。かといって、あまりに強大なボタンを持った人物を自暴自棄にさせるのはまずい。最悪の選択は、窮地に陥った時に周囲を巻き込むために選ばれるのだ。「もうどうなってもかまわない」、「もう後のことは知ったことではない」、「もうこの世のすべてがたくさんだ」。そう叫んだかどうかはわからないが、かつて小さな小さなボタンを押してしまった犯罪者から、独裁者を狂気に走らせないための何かを学ぶことはできないか。

明るい家族計画

 来年には家族が増えている。強烈なプレッシャーだ。分譲マンションを購入したとたんに、子供ができてしまった。しまった、という言い方をすると、とてもネガティブな感じがするが、もちろん望んでできた子だ。人生プランの中に予定されていた通りの展開といっても過言ではない。男の子でも女の子でもいいけど、元気で健康な子が生まれてくるといいなと心から思う。 しかし、その一方で子供を向かえる準備がこちらにあるのかというと、いろんな意味でまだまだだ。父親、というものがいかなるものなのかを哲学する心の余裕もなければ、時間もない。買ったばかりのマンションも、当分は妻と二人で暮らす設定でレイアウトされているし、それよりもなによりも一番の問題は私の収入だ。 今でさえ、妻にパートで稼いでもらってなんとか生活しているが、彼女が働けるのも残りわずか。病院代はもちろん、必須の部類のマタニティグッズも購入せざるをえないとなると、収入が減る上に支出が増えるという事態。火の車だ。 「なんとかなる」という意見を耳が腐るほど聞いたが、本当だろうか。大方の20代が子作りを躊躇する原因に金銭的な問題があると私は思う。それだけではないだろうけど、それはとても大きな問題だ。 それに、無闇に「大変だ」とか「ノイローゼ」とか「虐待」とか、そういうネガティブな情報があふれていて、なかなかそこに踏み込めないんじゃないだろうか。そういえば結婚もそうなのかもしれない。いわく「墓場」、いわく「妥協」、いわく「生活レベルの低下」。それでも結婚して子供を生むとすれば「できちゃったので仕方なく」でしかないのかもしれない。 ともあれ、少子化をなんとかするなら、ほとんどの若者が「結婚するとこんなにもいいことがあるのか!」、「子供生んで超ハッピー」と思えるような政策をやらないと。貧乏になるとわかってて、誰も好き好んで結婚したり子供作ったりしない。「なんとかなる」だけでは踏み込めない世界だ。 ありあまる収入があるならともかく、そんなにたくさん貰ってる人のほうがやっぱり少ないわけだし、私も当然負け組みの部類に入るわけで、「私たち夫婦は幸運に恵まれ子供を授かることができた」という無上の喜びの半面で、「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」と慌てふためいているのが現状だ。 実際問題、たとえ近々の内に昇進できたとしても、そのことによる昇給なんてたかがしれているし、このままでは転職も考えなくてはならない。しかし転職といっても、インドアだけで自分の人生を終わらせるつもりであった私に肉体労働は過酷に過ぎるし、今以上にやりたい事を自分のペースでできる職場もないだろう。 かくなるうえは、妊婦なら当選率が高くなるという「宝くじ」に夢を託すか。

久しぶりに書いた

 後、2時間半後には日本戦が始まってる。ブラジルに勝てそうな気はしないが、ワールドカップでは奇跡のようなことが起こることもあるらしいので、期待しないで結果を待っている。
 というのも、仕事が忙しくて中継は見れそうにないからだ。キックオフの4時からゲームの終わる6時ごろまで、テレビのない部屋で黙々と記事を書いているに違いない。そして、朝のニュースでキャスターがどんな表情で画面に登場するかだけを確認して、すぐに出かけることになるだろう。その瞬間に私にとってのワールドカップが終わってしまわないことを望んでいる。
 ここのところ、仕事がかなり忙しい。しばらくブログの存在すら忘れていた。ところが、ふと「書かねば」という焦りに似た感情が湧き出てきた。会社の後輩から借りた本に少し影響を受けたらしい。読書から得た感動をなんらかのかたちで表現しておきたくなったのだ。
 とにかく、ただ書きたくて書いてみたら、借りた本とはまるで雰囲気の違う、悪い意味で私なりものになってしまった。力不足を訓練で補うためにブログを利用することを思い立った経緯があるので、とりあえず下手なりにアップすることにする。
 梅雨時の雨って、まったくないとこまるけど、続けてありすぎると気が滅入る。その分、つらい時期を耐え抜けば、その蓄えで実りが豊富になるものと思えば。