仕事やプライベートでさまざま思い悩む日々があり、またまた更新が頓挫してしまった。長期放置は別に珍しいことでもないが、ネタがないわけでもないのになんだか記事を書く気になれず、ちょくちょくカウンターやコメントの確認だけをして、よし書こうと決めても数文字を打ち込んではすぐ消去するような状況だった。これではいかん!と思いつつも、いつも頭がスッキリせず、やる気がおきない。自己分析では今のところ睡眠不足と断定しており、睡眠と朝食のいい加減さが一日のリズムを決めているように感じる。
理由の一つに、実家の引越しがあげられる。私の生家は、私の誕生とともに建てられた年代モノの木造一戸建てで、あらゆる面で限界が訪れており、もはや人の住める状態ではなくなっていた。どのへんが「住めない」のかというと、まずは空調。古すぎるがゆえにエアコンが全滅していて、どこからか隙間風が吹き込んでおり、部屋の中でも外にいるのと同然。それどころか1階リビングのフローリングは鉄のように冷たく、むしろ部屋にいる方が寒いくらいでこの冬も部屋の中で上着が脱げなかったという。また10年ほど前から家の傾きがどんどん酷くなっていて、初めて我が家に来た人はとたんに平衡感覚が狂い、数時間で船酔いのような状態になってしまう。さらに、隙間に傾きという悪の相乗効果のせいで扉関係に支障をきたしており、それがまた状況を悪化させている。関連して虫やねずみが我が物顔で住み着いており、普段から掃除をまめにしないこともあいまって、何かを片付けてどうにかなる状況ではなくなってしまった。不思議なことに掃除しようとすると部屋が汚れるという、手の付けられない家なのだ。
問題は住む人の側にもある。私のは母は先天的に足の付け根に異常があり、それが年齢と共に悪化して、ついには歩行困難の一歩手前まできてしまった。もちろん実家はバリアフリーなんて概念のない時代に建てられた家である。健脚の方でも思わず足がすくむような恐ろしく急な階段や、そこかしこに罠のようにしかけられた段差を見るにつけ、母はだんだん家の中での生活が億劫になってきたという。父が死に、私が家を出たことで家が広すぎる問題もある。そこで、わが親は二束三文の土地を売り払ってマンションを購入し、この4月から心機一転新しい生活をはじめることにしたのだった。
実はここからが私の睡眠不足と関係してくるのだが、引越しに当たっての最大の難関はなんと私にあることが引越し間近という今頃になってようやくわかった。私は結婚を期に実家を出て少しだけ離れたところに住み始めたわけだが、新婚当初は干からびたボロアパートに住み着いたため、そのあまりの狭さにほとんど何も実家から持ち出すことができなかった。そして2年で新築マンションを購入し今の家になったのだが、それでもそんなに広くなったわけでもなく、結婚後に増えていったモノを押し込めて生活が安定してしまっている。実家から何かを持ち出すということを少しも考えなかったのだ。
さて、問題の私の荷物の内容である。私は幼い頃からモノを捨てる習慣を身に付けてはいなかった。ねずみの糞まみれになっていた屋根裏からは、私の幼稚園から高校までのすべての資料が発掘された。すべての資料とは、まさにすべてである。教科書や成績表、アルバムや卒業証書はもとより、ノートやテスト、授業で配られたプリントまで12年分がでてきたのだ。これを今の私にどうしろというのだろう。当時の私に聞いてみたいと思ったが、恐らくはたいした意味もないに違いない。ただなんでも残しておくということが習慣であるだけなのだ。もちろん詳しくは解剖せずに、目をつぶってゴミ袋にいれることにした。ほこりやねずみの糞や、とにかくなにかわけのわからないものが、それらの全体を覆っていたからである。
そんなゴミはもはや問題ではない。それよりもなによりも、大変なのは本やマンガだった。とにかく捨てないのが我が家の流儀である。活字中毒だった私が何のためらいもなく買ってきた本たちは、家のありとあらゆるところに眠っていた。なぜならば、本棚などという矮小なスペースに収まるような半端な量ではないからだ。勉強机の引き出しや足元はもちろん、あらゆる家具の天面にも無造作に積み重ねられているし、それは押入れ・食器棚・たんす・トイレにまで及び、くだんの屋根裏のほとんどのスペースからも大量の書籍やマンガが見つかった。そこで見つけたものには父が遺した本も含まれる。見知らぬ本やマンガ、雑誌を大量に発見したときには、血のつながりというものの恐ろしさに一瞬の眩暈を感じたほどだ。
しかし戸惑っている暇はない。しかし、やっぱり本はどうしても捨てられない。かといって自宅マンションには持ち帰るスペースもない。ああ、どうしよう。といっているうちにいよいよ引越しの期限が迫ってきてしまった。こうなれば苦肉の策である。嫁をしつこく説得し、とりあえず私の部屋に入る分だけの了承を得て、選別を行うことにした。選別といっても内容をいちいち確認している余裕はない。大雑把なガイドラインを決めて、後は機械的に振り分ける必要がある。まず、屋根裏から見つかったもののほとんどは傷みや汚れがかなり酷い。さわることも躊躇するようなものは当然持って帰れない。次に、マンガについては不揃いで半端なモノは涙を飲んで捨てることにする。雑誌は無条件で捨てる。父が好きだった怪奇ものやオカルト、FUO関連の書籍・雑誌・マンガは残念だが読まないだろうとのことで捨てる。小学生のころよく読んだハードカバーの子供向け単行本は捨てる。でも絵本だけはとっておくことにしよう。あと、中学生の頃好きだった雑学系の文庫本は、情報が古いし今更読み返すこともないだろうから捨てる。高校の頃貪り読んだ推理小説はとっておこう。それでもハードカバーの単行本はでかくてじゃまだから、できるかぎり捨てる。もう読まないだろうな、と思ったら深く考えずにすぐ捨てる。でもやっぱどうかな、と思ったときは一応とっておく。そんな感じで、何日かに分けて作業をしていくと、気づけば約半数が捨てられることに決定してしまい自分でも結構驚いた。なにせ、今まで一度も本捨てたことがないものだから、その事実に少なからずショックを受け、しかし次の瞬間には「逆に言えば残り半数を家に持って帰ることになる。そんなこと本当にできるのか」と思い、思い切って捨てられた本のことは忘れることにした。
とりあえず、大き目の段ボールにがんがん詰めて自宅に着払いで宅配してもらい、段ボールまま私の部屋に押し込めてみたが、その大きな段ボールの数が二桁になってしまったために、ついには私の部屋から私があふれることになった。なにぶん、すでに収まりきらないほどの本がその部屋に押し込められていたのだ。そこに大型段ボールが10箱以上も来たのではたまらない。私の選別は今も続いているのである。まずは現行の本棚を見直して、捨てるべきものは捨てなくてはならない。しかし、これは惜しい。惜しいが捨てねばならない。ではどれから捨てるか優先順位を付けねばならない。本棚に入ることが許されるAグループ。机の引き出しや足元に回されるBグループ。押入れに積上げられるCグループ。そして捨てられてしまうDグループだ。単純にDグループだけを選び出して先に捨ててしまえば済むのだが、そうもいかない。一応、すべてを見比べて、相対的に順位が決まるのである。なぜならば、本当はみんな捨てたくないからだ。しかも自宅での作業なのだから、時間に迫られて今すぐ選び出さねばならないという状況ではない。じっくり吟味して選ぶことが許されるのだ。妻さえ黙っていてくれれば。
というわけで、ここまでくれば私が慢性的な睡眠不足に陥っていることに説明を加える必要はないだろう。私は夜な夜な、口許には嬉しそうに半笑いを浮かべながら、積上げられた本に囲まれていそいそと本棚の整理をしているのだ。実を言うと、これほど楽しい作業はない。捨てること事態には痛みがあるが、あれやこれやとパラパラと味見をしつつ、アルバム写真をながめるようにしていると時間の経つのを本当に忘れてしまう。
妻を欺いてかなりの本やマンガを家に持ち込んでしまったことは夫婦間において大変な借りを作ってしまったことになるが、それでも私は満足だ。これからもどんどん本やマンガは増え続けるに違いないのでスペースの確保は大変な問題だが、いつかリビングを占拠して大型の本棚を導入してやろうと密かに計画している。今から妻の怒り狂った顔が思い浮かぶようだが、それでも私は満足なのである。










