目が覚めたら総理大臣になっていた。
寝ている場所はいつの間にか総理官邸だった。起きてすぐは、まさか自分が総理大臣だなんて気が付かないから、なぜ見知らぬところで寝ていたのかと昨日の行動をじっくりと振り返った。
まず、酒を飲んだことは確かだ。起きてすぐだから、まだ酒気を帯びている。しかし記憶をなくすほど飲んだわけではない。友人と何事かを愚痴りながらわずかな酒を飲み、ほどなく一人暮らしのワンルームに帰って、なんだか寝付けなくてなんとなくテレビを眺めながら少しのビールを飲んだ程度だ。見知らぬ屋敷に侵入して堂々と眠り込むような酔い方をした経験もない。
総理大臣であると自覚したのは「総理」と呼びかけられたからだ。大きな窓のある10畳ぐらいの部屋の中をきょろきょろと見回しながらうろちょろしていると、テーブルにしたら10人ずつは向かい合って座れるような木製の大きな扉がにわかに開いて、40代ぐらいの男であろうか、扉の向こう側にいる誰かが姿を見せずに「総理」と言ったのだ。
部屋の中には自分しかいないものだから「総理」とは私のことに違いあるまい。かといって自分が「総理」でないことは百も承知なので返事をするわけにもいかない。だまっているともう一度「総理」と言いながら扉の向こうから男が姿を現した。男は40代ぐらいのまったく想像通りの総理大臣秘書であった。
秘書はまっすぐ私を見つめてこう言った。
「総理、今朝のスケジュールはすでに押しております。すぐに移動の支度をお願いいたします」
彼があまりにも真剣な目をしているせいで、私は少しことの重大さに気が付いた。彼は私のことを総理大臣だと認識しているのだ。そんなはずないのに。悪い冗談なら早く終わりにしてもらわなくてはならない。まずはこちらの話を聞いてもらおうと考えた。
「すみません」
「なんでしょうか、総理」
「あの、少し待ってもらえませんか」
秘書は会釈してからニコリと笑顔を見せた。
「なんでしょうか」
「私は見てのとおり総理大臣ではありません。総理大臣でもないのに何故ここにいるのかはわかりませんが、とにかく私が総理ではないことは確かです。あなたは総理大臣が誰なのかは知っているのでしょう。それは決して私ではないはずです」
私は二日酔いに由来する頭痛を感じながら、ゆっくりとしゃべった。
「はあ」
「ですから、私はここから速やかに出てゆきますので、あなたは本当の総理大臣を探して仕事に戻ってください」
言い終わると秘書はもう一度会釈して笑顔を見せた。
「総理。あなたですよ、総理大臣は。スケジュールは分刻みにびっしりと組まれています。わけのわからないことをおっしゃってないで、いきましょう。やるべき仕事が沢山待っています」
秘書は手際のよい指示で私の身支度をあっというまに終わらせ、私はというと粘着力のある眠気の中で反抗することもできず、大人しく言うことを聞いているうちに気が付けば車の後部座席に座らされており、見知らぬ町並みが音もなく車窓を横切っている。
どうしてこんなことになったのだろう。あまりのことにとにかく混乱している。何かひっかかることがあるような気がしないでもない。いや、かといって特に思い当たる節があるわけでもない。昨日は友人と飲みながら、社会に対する不満を言い合っていた。うだつのあがらない酷い人生を呪って、二人で傷をなめあったのだ。そして私たちはそれだけでは何か収まりきらず、こんな自分に誰がした、と大きな声を上げたかもしれない。政治が悪い、とコブシを握り締めたかもしれない。あげく淋しいワンルームに帰ってさらにビールを飲み、何で自分はこうなんだろうと小さくつぶやいて布団も敷かずに寝たのだ。それが昨日の全てだ。それがこのような事態を引き起こしているとはちょっと考えにくい。昨日と今日の接点はどこにも見当たらないのだ。
いや、自分で考えていても答えは出るまい。横に座っている秘書の男はノートパソコンと携帯電話を使って遅れているスケジュールの調整をしている。合間を見計らって声をかけて見た。
「あの、ちょっといいですか」
「なんでしょうか、総理」
秘書は得意の笑みを真っ直ぐにこちらに向けてくる。
「しつこいようですが本当に私は総理大臣なんでしょうか」
「ええ、もちろん。総理だからこそ、このように私がおそばでお世話差し上げているわけです。総理でなければ困ります」
当然のこととばかりに彼は言う。
「いや、そういうことではなくて、私に総理大臣の公務をこなせるわけがありませんし、そもそもいつの間に総理大臣になったのかもわからないような次第ですから、やっぱり私が総理なはずないと思うんですけど」
秘書は笑みを湛えたまま静かに首を横に振る。
「そんなことはありませんよ。かつてのどの総理大臣も、大変な謙遜をされてそのようなことをおっしゃいました。あなたは立派な総理大臣です」
まずこれでは埒が明かない。言葉遊びをしている場合ではないのだ。車は目的地に向けて静かにスピードを上げているような気がする。そこで私は核心であろう部分に触れてみた。
「ところで、私はいつから総理大臣なんですか」
一瞬、秘書の笑顔にわずかなかげりが走った、ように見えた。しかしすぐにその気配は消えて、もとの笑みが戻った。
「今日からですよ」
意外とあっさりとした真相だ。
「やっぱり。どうもおかしいよ、この話は。なぜ昨日まで普通のサラリーマンだった私が今日から総理大臣になれるんだい。そりゃ確かに政治に対する不満の一つや二つはあるけどさ。それはいくらなんでもない話じゃないか。私はとんだペテンにかけられたよ」
疑問によって大きく膨れ上がっていたストレスが、ぽっかり開いたはけ口に殺到して私は思わず怒りをまき散らかした。
「ようするに、これは嫌がらせだ。いたずらの域を超えている。あなたもいい加減こんなことは終わりにしましょうよ。実にくだらない。なにが楽しくて私にこのような仕打ちをするんでしょう。さあ、芝居はこれまでです。自宅に帰らせてください」
それでも秘書は冷静そのものだ。すべて計算の内に入っていたのかもしれない。
「まあ落ち着いてください。これは芝居じゃありません。あなたは本当に今日から総理大臣なのです」
「そんな馬鹿な話があるか。そもそも国会議員でさえない私が、突然総理大臣になれるはずがないじゃないか」
「いいえ、昨日きちんと選挙が行われたのです。そしてあなたが当選したのです。任期は2年です。次の選挙までは誰がなんと言おうと、たとえあなた本人がなんと言おうとあなたが総理なんです」
「一体いつのことだ、それは。私は立候補なんかしてないし、政治に関心なんかないから選挙にも参加してないんだ」
「そうですか。それなら、もしかしたらご存じないのも無理ないのかもしれません。昨年から公職選挙法が改正されまして、全ての国民に国政を担う機会を与えるランダム抽選方式が採択されたのです。これからのあなたがそうであるように、国のあり方に関心のない無関心庶民でも国の重責を担えばそれなりの考えや責任感を持つようになります。一人一人の一般庶民が国全体のことを考えるようになることがどれほど大きく国を変えていくことか。全国民に当選の可能性があるんですから、皆が政治に対して常に関心を持っていくようになる。あなたは新選挙法での第一号の総理大臣に就任されたのです。内閣やその他のすべての議員も同じ条件で抽選された民間人です。どのような国にするか皆で考えて見てください」
「そんなの初耳だ。無茶苦茶じゃないか。国は本当になにを考えているんだ」
「ですから初耳だなんておっしゃっていること自体が問題なんですよ。昨年から毎日のように報道していたんですから。それに、このような選挙法を通さないように皆がきちんと政治を監視していれば、あなたなんかが総理大臣になることもなかったんです。でもこれからは人事じゃありません。しっかりがんばってくださいね」
秘書は小さな子供に優しく諭すような表情をして見せた。 あまりのことに私は深いため息をつくしかなかった。まだ二日酔いの頭痛が続いている。
「もう一度、確認しますよ。私が、この私が総理大臣なんですね」
「はい。おっしゃる通りでございます」
秘書がニコリと笑みを見せる。
「じゃあ私が一番最初にするのは、そのイカれた公職選挙法を改正することだ」
そう言い放ったところで、私の他愛のない夢は終わった。目をゆっくり開けると、布団もかぶらずにいつものワンルームで寝そべっている。だらしなくボタンの開いたワイシャツには、なにかをこぼしたような汚れがついているし、テレビもつけっぱなしだ。二日酔いの頭痛で目を開けているのもつらい。無理に立ち上がれば吐いてしまいそうだ。でも、だからといってこんなに酷い生き様を政治のせいにすることだけは、しばらくできそうにない。
テーマ:ショート・ストーリー - ジャンル:小説・文学






