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吉村ゴンゾウあわー

自作のショート・ショートや読書感想などをアップしています。気負わず適当にやります。テーマは「中途半端を恐れない」。

子供が立って、親は泣く

 つい先日、ようやく娘が一人で立ち上がった。これを目撃したときの衝撃といったら、とても言葉では言い表せないものがある。
 うちの娘は父親に似て、何をするのもちょっと人よりのんびりしているらしく、1歳4ヶ月になってもちっとも歩く気配もなく、それどころかつかまり立ちでさえ、ふらふらとおぼつかない始末。聞けば私自身も、歩き始めたのが1歳4ヶ月だったというから血は争えない。
 別に誰と比べてどうというわけでもないはずなのだが、それでも親というのは「この子は他の子より遅いんじゃないか」とか考えてしまうもので、私などは「もしかしたら立つ力が備わってないのだろうか」と不安になったりして、無理やり両手を取って歩かせようとするのだけど、その気がまったくない娘はすぐに私の足にすがりついてしゃがみこんでしまうのである。
 まるで私が幼かった頃のように、いつもどこかに寄りかかって自分の体をよそに預けてしまう癖を、どうして彼女が生まれつき持っているのかはまったくの謎だが、自分で自分を支える気がない以上、一人で立つなんてありえるはずもない。つまりは、立つ、あるいは歩く能力があったとしても、歩く気がまったくないのだ。早ければ10ヶ月を待たずに歩き始め、1歳には走り回る子までいるのに。そんな同学年の子達と一緒に遊ぼうにも、小柄で臆病な娘だけが遅れをとることは目に見えている。親としてはなんとも切ないではないか。
 ところが、ある晩のことである。風呂に入れて着替えも済ませ、さあ寝ましょうという時だった。つかまり立ちにはある程度自信があるらしい娘が、布団の端をひらりとめくって内側の毛布をしっかりと掴んでいきなり立ち上がったのだ。あまりにもひょいと立ちあがったので一瞬なにをしているのかわからなかったが、自分が立っている足元の毛布を引っ張って、手の力でバランスを取って立ち上がったようだった。手で毛布を掴んでいることで立っているので、ほんの少ししかそのバランスを維持できず、娘はすぐに座り込んでしまう。しかし、なんだか私達夫婦が驚いた様子で注目していることが嬉しいのか、大声で笑って自分で手をたたいて拍手を送っている。これは、もしかしたら毛布は気休めで、本当はビビッているだけで立てるんじゃないだろうかと直感的に思った。
 よしこうなったらとことんやる気をださせてやろうと、夫婦で拍手で盛り上げ、すごいね、立てるね、とほめてあげる。娘も「どうだすごいだろ」的な表情で誇らしげに立つ。立てば褒める。しかし、徐々に娘の立つ位置と掴んで離そうとしない毛布の具合を調整して、立っても緩みを持たせて手の力で立てないようにしていくのだ。娘もだんだん調子に乗って何度座り込んでしまっても立とう、立とうとがんばるようになってきた。あのやる気がない娘が、自ら一生懸命立つことに努力しているのである。そして、もうただ手に持っているだけで気休めにしかならない毛布から手を離し、ついにほんの数秒だが立って見せたのだった。妻と二人で「おお、すごいすごい」と声をかけ手をたたくと、娘は同じことに挑戦して、今度は立ちながら自分で手をたたいたのだ。
 やった、これは完全に立っている。娘は必死な形相で何とかふらふらするのを踏ん張って立ち上がり、嬉しそうに自分で手をたたく動作を、あきずに何度も何度も繰り返した。あんなにもとことんやる気のない我が娘が、自分からこんなに一生懸命になってなにかに努力して成し遂げる姿を私は始めて見た。鳥肌が立つような感動だった。妻は笑いながら泣いていた。娘はひたすら楽しそうだ。私も嬉しくて泣けてきた。
 それから娘は、翌日には随分長くたてるようになり、たった二日で左足だけだが前に一歩踏み出せるようになった。三日目にはさらに長く立てるようになり、立ちながらいろんな動作を複合的にこなすようになってきた。そしてその後たった1週間で、実はもう結構歩き回っていたりするものだから、本当に問題だったは本人のやる気だけで、歩く力はだいぶ前からあったんだろうなぁとしみじみ思った。ちょっとしたきっかけさえ掴めば子供の成長は本当に早い。買う必要はないだろうと思っていた子供用の靴も、今となっては用意せざるを得ない。うまいもので上手にバランスを取ってこけたりしないで歩けるので、走り出すのも時間の問題だろう。
 こんな話を私の母親にして「我が娘ながら僕に似て本当にのんびりしたものでさ、ようやく立てるようになったよ」と、幾分誇らしげにいうと、「あんたの場合、確かに1歳4ヶ月ぐらいで歩き始めたけど、無茶苦茶どんくさくて、こけてはしょっちゅう頭打ってたわね」と言われ、「なんと娘は早くも父親を超えていたのか」という事実が発覚し、ちょっとしょげた。

恐怖のロタウイルス感染症

 夜の11時ごろだった。突然、何の前触れもなく娘が吐いた。お気に入りのソファーにつかまり立ちをした体制のままで、その日夕方に離乳食として与えていたチキンライスをびたびたと口から出していた。
 あまりにも突然のことだったので対応できず、とにかく妻を大声で呼んで処置をお願いした。私はなにかと頼りにならないとつくづく思う。何か悪いものでも食べたか、へんなものを口に入れてのどにつまらしたか、なんとなくゲップとともにだしたのか、あれこれ考えたが、とりあえず水分補給をと思って水を与え、妻に授乳を指示した。心配した割りに意外とケロッとしているので、たいしたことないのかと笑っていたが、ものの30分で娘がぐずりだし、座らせても何かふらふらしていると思ったら、また胃の中のものをすべて出してしまった。今思えば、ぐずりだしたときも、気持ち悪そうな、吐きそうな表情だったような気がする。さすがに2度吐いて娘も異変を声に出して訴えるようになり、もう空っぽになったはずの胃から何度も吐こうとしては苦しそうに涙を流していた。
 これはもう、素人の手には負えない。そう思った私たちは、手元にある子育て関連の本をかたっぱしから引きずり出して「嘔吐」に関する項目を真剣に読んだ。可能性が当てはまるのはロタウイルス感染症だった。このあと熱が出て下痢をすれば確定だが、このままでは脱水症状を起こしかねない。
 私は翌日から出張の予定で、朝早くの新幹線に乗らねばならなかったが、そんなことも行ってられない。娘を抱っこひもで体にくくりつけ、上からジャンバーを着込んで自転車に乗って夜間急病診療所に走った。私は、この自宅から自転車で10分程度の診療所に、実はよくお世話になっている。現在の家に引っ越す前にも何度か訪れているのだが、自分自身が元気な状態でここに来ていることがとても不思議な感じだった。娘はもうすっかり疲れきって、ぐったりと私の胸にはりついている。もう泣き叫ぶのもしんどいらしい。
 診察はとても簡単なもので、体重を量り一通りの触診を終えると、「よく水分を取って、明日必ず病院に行ってください」と言われ、「もどしくだしで菌を外に出すので薬は出しませんから」と結局なんらの処置無しで帰宅することに。
 私たちは、夜が明けるまで、ちょびちょびとイオン水を与えては吐かれ、泣いてはまた水を与えで、布団もタオルもぐちゃぐちゃ。娘の着替えの服もなくなってしまい、夫婦にとっても大変な戦いになってしまった。しかも私はそのまま妻と子を残し出張にでなくてはならない。くたくたのまま出かける私もつらいが、病気の娘を託されて残った妻はもっと大変だっただろう。しかし仕事は仕事。心苦しいが、私は「とにかく病院に」と言い残して旅立ったのだった。
 病院では「まず間違いなくロタウイルス」と診断され、点滴を打ち、座薬の解熱剤を入れてもらった。その日は熱が高く、だんだん水もうけつけなくなり、衰弱しているように感じたと妻は言う。それでも「まぁ、病気だからぐったりしてても当然」と思い、そのまま翌日に。日が変わると少し熱は下がって娘も気分が軽くなったのか、ひたすら泣き叫ぶようになった。この日の夜に私は帰宅したのだが、妻も娘も別人のようにくたびれ果てていて、精神的にもかなり応えているようだった。
 娘が泣いている理由はおそらく腹痛と空腹ではなかっただろうか。少し下痢が始まりだしていたし、ずっと水しか与えていなかったから、お腹がすいて怒っていたのだろう。でも医者や近所の子育ての先輩たちからは「悪くなるから何も食べさせない、おっぱいもあげない」と言われていたため、どんなに泣かれても授乳しちゃいけないと妻もかたくなになっていたのだ。娘の場合は最初によく吐いたため、下痢の方はあまり酷くはならなかったが、機嫌が悪いのかだんだん水ものまなくなって、本格的に脱水症状が心配になってきた。だんだん泣き方も弱くなり、しかし四六時中泣かれて、寝つきも悪く、身じろぎも緩慢になっている。でも授乳はできない。でもこのままでは、としばらく葛藤が続いていた。
 私はとにかく水分を取らせたかったので「あまり沢山あげないようにして授乳してみよう。吐くようならやめて、吐かないならまた授乳してみて、明日病院に連れて行こう」と提案した。授乳に問題があるなら医者は止めるだろうし、よしんば悪化しても医者からの正しい処置で回復できるかもしれない。しかし、このまま放置して飲まず食わずでは、本当に弱ってしまい勝てる病気にも勝てなくなってしまうのではないか。私はそう思ったのだ。
 翌日病院にいくと、妻は医者に怒られた。「ぐったりしてるなら、なぜすぐ病院につれてこないのか」と。なるほど、そりゃそうだ。「絶対に明日もつれてきなさい」と言われ、点滴を打ってもらい、下痢が始まったとのことで整腸剤を処方してもらった。
 点滴を受けた娘はそれからよく眠り、目が覚めたらおっぱいをたっぷり与えて、また寝かしつけた。みるみる彼女は元気をとりもどし、よく眠り、無闇に泣かなくなった。まだ自分で座れないぐらいに衰弱しているが、それでもちゃんと目をあけて好きなおもちゃを手に取れるようになったし、中空に手を上げて時折バイバイをして見せたりする。それを見て私もようやく、格段に回復していると実感できた。今思えば、なにもあそこまで絶食にこだわる必要もなかったのではないか。と思えてくる。まぁ、なんにしろ快方に向かいつつあるのは確かのようだから、それはそれでよし。ひさびさに娘の笑顔をが見れて、とにかく私はほっとした。
 しかし、ロタの怖いトコは、同じ病気にまたかかる可能性がけっこうあるらしい部分だ。完全な免疫ができればいいのに、そうはならないで再感染を何度も起こし、生涯免疫はできないらしい。少し体が大きくなると感染しても発祥しなかったり無自覚であったりするだけで、大人も感染しているというから怖い。
 再感染予防には「清潔」が重要とのこと。あまり得意な分野ではないが、もう娘のあんな姿は見たくないので、妻と協力してがんばりたい。

テーマ:★★1歳児の日常★★ - ジャンル:育児

ファーストワード

 つい先日、娘が11ヶ月になった。もうすぐ一才。お正月だが、誕生日には何をして祝ってあげようか。無事、1才を迎えられることに無常の幸せを感じる。
 ここ最近、どんどん娘がかわいくなっていく。そりゃぁ最初からすっごくかわいかったわけだが、本人のその愛くるしさがどんどん増しているだけでなく、私の愛情が増大してきている。その最大のキッカケは恐らく意思の疎通が徐々に図られてきたことにあると思う。別に芸を仕込んでいるわけではないが、娘がいろんなことを覚え、バイバイと手を振ったり、みんなと一緒に拍手でリズムを取ったり、「ちょうだい」と声をかけると手渡しで近くにあるものをくれたりする。こちらが声をかけたことに反応をしめし、それに対して親が喜ぶと子も喜んでやってくれる。かなり不得意だった食事も上手にできるようになり、やたらと自分で匙を持ちたがってそこらじゅうを汚すこともなくなって、子育てがうんと快適になった。
 まだまだ不器用で、できないことも多いが、それはそれでよし。ハイハイもいつまでたってもぎこちなくてバタッバタッと遅いし、つかまり立ちはするものの体重を常によそに預けてしまうので到底一人ではバランスが取れない。これでは一人で立てるようになるのはまだ先のことになりそうだ。
 体がどんどん立派に成長していた一時期に比べると、そう大きな変化はないようだが、ここ数週間は急に知恵が付きだしたのか、やたらと話しかけてくるようになった。しかも「パパ、パパ」と呼んでくれる。これはなかなかに嬉しい。生まれたばっかりの頃から、常に「パパですよぉ」としつこく話しかけ続けたことが見事に実を結んでか、彼女のファーストワードは「パパ」になった。
 最初に「パパ」と喋った時には、パとパの羅列に何の意味もないように感じたが、最近の「パパ」には呼びかけの意思を感じる。私が娘から離れ自室にこもっているとパパ、パパと言いながらバタッバタッとハイハイで近づいてきて、あまつさえ扉までノックする。開けてやると嬉しそうに笑いながら「パーパ」と言うのだ。これはかなりかわいい。嬉しくなって「そうだよ、パパですよぉ」と娘とじゃれていると、妻は呆れて「パパはもうわかったから、そろそろママも教えてあげなよ」と嫌味を言う。食事の時に「まんま」といいながら咀嚼することがあるが、まだ「ママ」とは言わない。とりあえず娘との会話は私の独り占めなのだ。

テーマ:◆◇◆0歳ベィビー◆◇◆ - ジャンル:育児

早いもので8ヶ月

 わが愛娘が、つい最近8ヶ月になった。8ヶ月というと、そろそろお座りからハイハイを始めるころだが、どうもウチの娘は、母親に似たらしくハイハイどころかまだお座りもろくにできないマイペースぶりを発揮している。その妻にしてみれば、私に似て不器用でドンクサイなどと言っているに違いないが、それはさておいても子供の成長は早いものだ。
 ふと一年前を振り返ると、娘はまだ妻のお腹の中にいて、まだ妊娠6カ月といったところだっただろうか。ようやく胎動が私にもはっきりと伝わるようになり、こいつの父親になるのかと、じわじわと実感が湧き出した頃だっと思う。それからたったの一年だ。どんどん妻のお腹の中で膨れ上がり、ついには娑婆に産み落とされて、すくすくと育っての一年である。下の歯が2本も生えている。寝返りとズリ這いで自分の目指すところに、なんとか移動することもできる。何事か心情を吐露する表現を行えるし、お菓子のようなものを自分で口に運んで食べたりもする。
 ある先輩から、日に日に成長するのが目に見えてわかる、とか、毎日新しい発見がある、とか聞かされていたが、本当にその通りだと今では実感する。子供の成長は、早いようでいて、じれったくもあり、とにかく目が離せない。何かを初めてできた時の妙な達成感は、親にしかわかるまい。いつでもその第一発見者でありたいし、その成果を広く宣伝したいと、がむしゃらに思う。
 それに引き換え、大人の一年はある意味あまりに安っぽい。たった一年である。私に昨年と比べて成長した部分はあるのだろうか。そういえば、ほんのちょっぴり年収が増えたかもしれない。いやいや、体重が2キロほど増えたか。いや、それどころか、ウエストが3センチも増えていた。いやぁ、成長したなぁ。
 生まれてから時間をおうごとに、人間はどんどん変化しているものらしい。それが一体プラスなのかマイナスなのか、それは別として。とにかく変化が自分の内側や身の回りで起こりまくっているわけで、どうせ変わっていくなら、自分にとっても家族にとっても社会にとってもいい方向に変化していきたいものだ。
 赤ちゃんが物事を吸収し、成長するスピードはとてつもなく早い。それは、すべての事をプラスに変化して受け入れているからだと思う。1才未満の子供にとって、マイナスにしかならない刺激などあるのだろうか。何だって吸収し、失敗すら糧にして、親があきれるほどのあくなき挑戦を続けて、わがままに、貪欲に、すべてを成長に結び付けている。
 悲しいかな日々後退、日々減衰の私などは、子供のそんな逞しい根性をポジティブに学ぶべきなのかもしれない。

おっお前、寝返ったな!

 我が娘ももうすぐ6カ月になる。体重も6キロに達し、順調に成長しているようだ。
 0歳児の成長速度は本当に速くて、毎日ながめていても日に日にその成長をうかがい知ることができる。親としてなによりも嬉しいと思うのは、これまでできなかったことがある日突然できてしまう瞬間だ。本人の中では常に挑戦と葛藤なのか、それともただ本能の赴くままなのかはわからないが、つい先日初めて一人で寝返りをうった。これを目撃したときの衝撃と喜びといったらほかにたとえようのないほどのものだった。
 確かにこれまで何度も身体を半身になるまで反り起こして寝返りを打とうとしている風情はあったのだが、行ききれずすぐに戻って仰向けの体制に戻っていた。夫婦でそれを幾度となく見ていたので「いつか寝返りも打てるようになるのかなぁ」と遠い目をしながら話し合っていた矢先のこと。意外にもあっけなく、それはすぐに訪れた。家内も初めてそれを目撃した瞬間は大騒ぎで、何度もやらせようと仕向けたりして、娘は迷惑そうだったなぁ。
 最初に寝返りを打ったときは下になった腕を前に抜くことができずそのままうつぶせに潰れてしまって泣いていたのだが、一度成功させてからというもの頻繁に寝返りを打つようになり、何回かに一回は上手に腕を抜いて匍匐前進の準備段階のような体制になることもでてきた。娘は寝返ってうつぶせになり、また寝返って元に戻ることが楽しいらしく、それを繰り返しやるようになった。これ以上上手になると、しまいにゴロゴロ転がりだしたり、匍匐前進したり、そこから身を起こして座ったりするのだろうか、とまた夫婦で遠い目をしているのだが、それも意外とあっけなくできたりするんだろうなぁ。
 早く成長した姿の娘を見たいというはやる気持ちもあるのだが、いやこのちょっとずつしか何もできない時は今しかないんだしゆっくり楽しむか、という気持ちもあって、いちいち親心は複雑だ。できることが増えると心配事も増えてくる。しかしそれが嬉しくてたまらない。自分や家内も両親にこのように思われながら成長を見届けてもらったんだと気付いてみると、今もこうやって大人として親として成長していく息子や娘を見て目を細めて喜んでいるのかもなぁと思った。

テーマ:◆◇◆0歳ベィビー◆◇◆ - ジャンル:育児

ねんね

 ウチの娘は、寝つきが悪い。
 眠くなると、かなりグズってしまう。4ヵ月になったばかりで、まだほとんど寝てるかオッパイを欲しているかぐらいしかすることがないのだが、寝に入る瞬間が嫌いなのか、おとなしく寝ることはめったにない。
 驚くのは、MAXでわめきちらしている最中に、突然パタッと寝に入ることである。あれだけ騒いでて、急に寝れるとはどういった神経なのだろうか。
 今日も母の日であるというのに、うまくお昼寝に突入できずに例のごとくグズりだしてしまった。
「母の日に 母困らせる 親孝行」
 と一句詠んだところで、妻の疲れが癒されるはずもなく、休日をいいことに泣き叫ぶ我が子を妻に押し付けられてしまった。かくして我が子を突然預かる羽目になったわけだが、預かるといっても妻が洗濯物を干している間に子供を寝かしつければ任務完了である。私の得意とする子守唄で寝かしつけてみせる、と意気込んだものの、私が抱いたとたんに娘の怒りはさらに爆発して、よけいに声を張り上げる始末。ゆらゆらとスウィングすることで子供を寝かしつけるバウンサーに乗せてみたが、抱いていた状態からどこかに下ろされることが嫌いらしく、これも受付てもらえなかった。娘をもてあまし、一体どうしたらいいんだ!と悩む姿を妻が柱の影から笑って見ている。笑ってみているぐらいなら、何とかしてくれと懇願すると、「あなたが会社にいっている間中、私は毎日ずっとこんな状態なんだから」と勝ち誇られてしまった。確かに母は偉大である。
 結局、洗濯物が干し終わっても娘の激昂は収まらず、かえって火に油を注いだだけの役立たずとして、私はお役御免となってしまった。今は妻の添い寝ですやすやと眠る娘の顔が、なんとも憎たらしくも見え、またかわいくもあり、複雑な心境で見つめているのである。

テーマ:育児日記 - ジャンル:育児

お風呂問題

 うちの家内はきれい好きだ。ポリシーと表現すると悪いものでもなさそうだが、妙なこだわりがあって、融通の利かない頑固なきれい好きなのだ。じゃあ、潔癖症のように何から何まですべからく常に清潔に保たなければならないかと言えば、そうではない。自身が、これだけはやらないと気がすまない、と感じている部分だけは毎日でも掃除するが、本人の目に付かないところは埃まみれだったりする。
 このことは結婚してからわかったのだが、いくら注意しても考え方を譲れないらしく、しかたないので気のすむようにさせている。どういうことかというと、たとえ夜中に寝ている最中でも、究極に腹が減っている時でも、どうしようもなく疲れて一秒でも早く眠りたいときでも、気になる箇所だけの掃除を最優先にしてしまうのである。こうなると、家内だけの問題ではなくなる。私がやむを得ず仕事を持ち帰った時など、こちらのこともお構いなしに掃除を始め、邪魔と承知で邪魔をする。なぜなら優先すべきは掃除だからだ。私が扁桃腺を腫らして40度近い熱を出した時でも、なんと風呂掃除をさせられそうになったのだ。何もこんなときに・・・、と主張しても理解してくれない。こんなわがままなきれい好きに、私はほとほとくたびれているのだ。
 しかし、夫婦二人のときはまだよかった。ここに娘が誕生したことで被害は拡大してしまった。なかでも一番困っているのがお風呂問題である。
 家内はお風呂も好きだ。必ず毎日浴室に入る。必ずといったら本当に必ずで、一切の妥協も融通もない。必ず浴室に入る。家内の悪いところは、それに私や娘を巻き込もうとすることだ。私が、今日は体調が悪く風邪気味だから入らない、とでも言おうものならとんでもなく不服な表情をして、さらに私の主張を捻じ曲げようと口論になる。私が結局いやいや風呂に入って風邪をこじらせようがまったく気にも留めない。
 娘にはもちろんまだ主張がない。4カ月になったばかりだ。汗をかいて気持ち悪いので風呂に入りたい、とは言わない。逆に、もう眠いから風呂に入れないで寝かせてくれ、とも言わない。病院でも、必ず毎日風呂に入れましょうとは指導していない。世間でも、なにがなんでも毎日風呂に入れるという話を聞かない。しかし、家内はそこを譲らない。しかも、そのくせ自分で娘を風呂に入れようとしないのだ。なんだそりゃ。
 風呂は私が毎日入れているのである。生後1カ月は、ベビーバスを使用して二人で入れていたのだが、これも迷惑至極で、私がインフルエンザにかかってタミフルを飲んでいる最中にもこれを強要された。ちなみに、そのせいで私のインフルエンザが家内に伝染し、夫婦で倒れて、薬の為におっぱいもやれず、泣きながら搾乳とミルク作りをするという地獄の1週間を過ごすはめになった。
 2カ月目からは、私一人で娘と一緒に風呂に入るようになった。慣れるまでは困難を伴ったが、次第に慣れてくると子供とコミュニケーションをとる重要なシーンの一つになっていった。そこまではいい。しかし、それにも限度があるはずだ。家内は、娘の洗い方に注文をつけるようになった。少しでも発疹などが現れると、その責任は私にあるのである。そんな馬鹿な。文句があるなら自分で娘を風呂に入れれば良いのに、それはしたくないのだという。いい加減にして欲しい。
 このところ仕事やその他諸々で忙しく、帰宅が11時を過ぎることも少なくない。ところが、へとへとにくたびれて帰って来ても、家内も娘もまだ風呂に入っていない。私が帰宅してから風呂を沸かし始め、まず家内がゆっくり一番風呂を堪能してから私が風呂に入り、十分に温まる前に娘を預けられ、一生懸命洗って家内に返してから、子供のウンチのカスがあちこちに浮いている風呂で体を温め直すのだ。それから食事をとったりすると、寝るのは必然的に深夜になっていく。
 そこまでして、当たり前だと思われていることが、非常にせつない。怒られることはあっても褒められたり感謝されたりはしないのだ。なにも家内に褒められたいわけでもないが、せめて家族の為に社会で戦ってきた夫をいたわる気持ちはないものだろうか。
 一方の娘は、これでなかなか風呂好きのようで、生まれてすぐのときから今でも、風呂に入れると嬉しそうにしている。よっぽと機嫌の悪いときでもない限り、大暴れしたり泣き出したりはしない。そればかりか、やはり毎日風呂に入れているせいだろうか、私の帰りが遅く夜中まで風呂に入れてもらえないと、そのことに怒っているかのような態度をとるようになった。いや、これも家内からの刷り込みでそう思わされているのかもしれないが、そんな気がする時があるのだ。
 そして、そんな時ほど風呂につけると私を見つめて微笑みかけてくれるかわいい娘にも、傍若無人なきれい好きの血が流れているのかと思うと、その笑顔の奥に秘めた本性を垣間見たきがして複雑な心境になるのだ。

テーマ:パパの育児 - ジャンル:育児

う○こ、飛ぶ


 我が家に女の子の赤ん坊が来てからというもの、毎週毎週何かしらの事件が起こるようになった。娘はようやく2カ月になったばかりだが、たった2カ月一緒にすごしただけなのに、もう随分と子育てに携わったような気がしてならない。日々、悪戦苦闘しながら過ごしたこの2カ月間は、泣くことと寝ること以外に何もできない娘にとってはなんてこともなかったかもしれないが、親にとっては密度の濃い期間だった。これまで何でもかんでも妻に頼りっぱなしで生活してきた私としては、あまりの負担増にメタボリック症候群の体躯がげっそりとやつれてくるし、妻は妻で、あれほど一人っ子ではかわいそうだから最低子供は二人以上と言っていたのに、もうこれ以上の子育てはごめんだとついに主張をひっくり返してしまったほどだ。
 一番困ったのは、夫婦で病気をした時だ。私の仕事の忙しさには大きな波があり、たまたまその時は大きなピークを超えたところだった。突然、全身の筋肉と関節が痛み出し、強い倦怠感のために立てなくなってしまったのだ。熱を測ると40度を超えており、体を引きずって病院にいくとインフルエンザと診断された。私は未だかつて一度たりともインフルエンザにかかったことがなかったので、最初は耳を疑ったがよくよく聞いてみると症状が完全に一致しており、紛れもなく正真正銘の立派なインフルエンザであった。
 これは後からわかったことだが、普通、小さな子供のいる家庭では家族全員でインフルエンザの予防接種を行い、移したり移されたりしないようにしておくものらしい。そうしないと、ひとたび家庭内にインフルエンザを持ち込めばその強力な感染力のために次から次へと家族に感染してしまうため、いくら症状がつらくてもろくに看病を受けることもできない隔離状態なってしまうからだ。病気の時に頼れる人がいないのは精神的にもきつい。さらに、もっとも最悪なパターンは全員に感染が進み、誰も身じろぎ一つできずにじっと病魔が去るのを待つだけという情景である。そして、我が家にその危機が訪れようとしていたのだ。
 まさかインフルエンザではあるまいという、なんの根拠もない勝手な判断が災いして、安静にしている間の世話を妻に任せていたために、私の症状が改善されきる前に妻がインフルエンザを発症してしまった。私に続き妻も倒れてしまったために、我が家で健康なのは生後2カ月足らずの娘だけに。もし赤ちゃんに感染してしまったら大変だと、真剣に子供を施設に預けることを考えた。しかし、自分たちで育ててる時でさえ目を離すことに不安を覚えるのに、とてもじゃないが他人に預けてしまって平常心でいられるはずがないと考え、夫婦で揃ってマスクをしながら、交代で娘の面倒を見続けることになった。
 病気でなくても子育ては大変だ。私だけが倒れている間は妻が一人で子供の世話をしていたのだが、それも大変だったに違いない。しかし、二人で高熱を出していたのでは、大変どころの騒ぎではない。うつしてしまわないかと細心の注意を払いながら自身の倦怠感と戦い、時には妻の容態にも配慮しなくてはならない。妻もまたしかり。それに誰が食事の準備をするのかなんて考えたくもないのだが、二人とも薬を飲む必要があるため3度の食事を誰かが準備をしなくてはならない。その上、子供に関しては3度どころではない。一日中、ミルクを必要とされるのだ。それからはまさに死に物狂いの数日間が始まった。
 加えて、もう一つ問題があった。妻は、よくおっぱいが出る体質らしく、病気になるまではほぼ100%自分のおっぱいを娘に与えていたが、インフルエンザの薬を飲み始めたために、おっぱいを与えることができなくなってしまったのだ。そのせいで、普段は与えたことのないミルクを毎度毎度作り、子供にそれを与えつつも勝手に張ってくるおっぱいを搾乳しなくてはならない。この搾乳という作業が大変な苦痛をともなうものらしい。いつもなら、おっぱいをあげていればいいだけなのに、わざわざミルクを作って与えて、しかも搾乳である。この手間が病身にはあまりにこたえた。ただでさえしんどいのに過度のストレスがかかったために、その怒りの捌け口が私に向けられたのは言うまでもない。インフルエンザを家庭に持ち込んだ張本人だからだ。しかし私にも言い分がある。子育てに参加するための負担増に加えて仕事のピークが訪れ、弱っていたところに畳み掛けるような夜鳴きに襲われ、その翌日に体調が悪化したのだ。誰のせいにもできないが、単に私が非難されるのは納得できない。お互い疲れてしまったせいか喧嘩ばかりするようになり、夫婦の関係はしだいに険悪に。娘に対しても一生懸命世話に取り組む姿勢ではなくなっていった。
 変化があったのは私たちだけではない。生まれてこの方ほとんどおっぱいしか口にしたことがなかった娘は、急に人工的なミルクを与えれるようになって便秘になってしまったのだ。通常、おっぱいだとお通じはゆるく、ミルクだと硬くなるものと言われているらしいが、毎日何度もお通じのあった娘が丸々3日間もう○ちが出なくなった。もうすでに子育てに嫌気がさしていた二人だったが、さすがにこれには対策が必要だと神妙に話し合うようになり、綿棒にベビーオイルを塗って肛門を刺激する浣腸法を試すことになった。最初は恐る恐るやっていたのだが、慣れてくるとだんだん大胆になり、交代で綿棒の先を肛門に突っ込んでぐりぐりと動かしては、う○こをほじくり出すようになった。それでも強情な娘のう○こは綿棒の先に少し付いて出てくるだけで一向に表に現れず、娘も赤ん坊なりに便秘が気になるのか一日に何度もう○こを本気で気張るようになった。そのいきみ方があまりに激しいので、いよいよ病院に相談しようかと考え始めた時だった。突然、娘が堰を切ったように泣き始め、一体どうしたのだろうとオムツをめくってみると、これまでに見たことのないほどの大量のう○こがオムツからあふれるほどに出ていたのだ。しかも、コレは大変だと思った矢先に娘がいきみだし、追加のう○こが次から次へとでてくるではないか。私たちはほとんどパニック状態になってオムツで抑えようとするものの、4日分になろうという溜まりに溜まったう○こはとどまることを知らず、オムツを何枚取り替えてもすぐにう○こまみれになってしまう。これでは埒があかないと新聞紙を広げてう○こまみれになったオムツ置き場を作り、さぁ全部出せと新しいオムツを準備したその瞬間だった。足を上げるオムツを替える時の体制を利用したのか、娘は勢いよく残りのう○こを肛門から吐き出し、オムツを替えようとしている妻にめがけて汚物を巻き散らかした。後にその瞬間を振り返った妻はこう語った。「まるでロケット噴射のようにう○こが発射されて、気がつくと全身う○こまみれになっていた」と。
 妻の絶叫に私が振り向いたときには、すでにその凄惨なシーンはクライマックスを迎えていた。子供の服も、妻の服も、布団も毛布も、手や足も、なにもかもがう○こ色だった。娘の下に敷いたはずのオムツはう○こに埋もれてどこにあるかもわからないほどの状態に。あまりのことに妻は放心してしまい、大きな口を開けたまま私と目を合わせて黙っていた。しかし、私が「おい」と声をかけたことをきっかけに、妻はまるで面白くてしかたないとでもいうように笑い出し、私も一緒に笑った。
「う○こって飛ぶんだね」
 妻は何度もそう言っては笑い、なかなかう○この後始末をできないでいた。私も笑っていて、なんだかう○こなんかに真剣だったことが馬鹿馬鹿しくなって、子育てに対してや妻に対して何か緊張がふわりと緩んだような、そんな気がしてしばらく妻と一緒に笑った。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

胎動

 ついに感じた。この時をどれほど待ち望んでいたことか。
 妻が「ねぇ、ねぇ」と声をかけてきた。ソファに座ってお腹を触っている。「ほら、なんかポコポコいってるよ」。そう言って僕の手を導いて自分のお腹を触らせた。
 確かに、そのふわっとしたお腹の内側で何かがうごめいているのを感じる。
「もしかして、これが胎動なのか!」
 僕は声を上げて感動を表した。
「なんかね、最初は内側にちょっと感じるだけだったんだけど、ようやく表面からもわかるようになったみたい」
 妻が僕を見て笑う。
 ついに、ついに僕は自分の子と触れ合ったのだ。今、僕の手に何かを押し付けたのは妻ではなく、僕の子だ。今まで感じたことのない「自分の子」と言うリアリティに嬉しさがこみ上げてきた。
 そう言えば、最近目に見えて急激にお腹が大きくなってきたようだった。これまでは「少し太った人」程度で、言わなければ妊娠を気付かれることもあまりなかったらしい。それが、5ヶ月目に入ってからお腹の大きさが目立つようになり、今では毎日少しずつ大きくなっていると思えるほど妻の体型に変化が出てきていた。僕が「少しお腹目立ってきたね」と言うと、「チビがついに本領を発揮しだしたみたい」と彼女も言っていた。
 早ければ胎動を感じる時期だと言う情報を知っていたので、僕は毎日、どう?動いた?と聞いていたが、どうもはっきりしないらしく、「ポコっと動いてるような気もするんだけど、お腹の中でなんとなく感じるだけなの。食べたものが消化されてるだけなのかも」、と言うような答えだった。
 それがついに、はっきりと動いたのだ。しかも僕の手に、はっきりと感じることができた。僕は嬉しさのあまり、思わずチビに話しかけてしまう。「がんばれ!もっとママのお腹をキックしろ!しっかり大きくなるんだよ」
 予定日が来年の1月なので、後約5ヶ月間。チビに早く会いたくて、もう待ちきれない。

わが子のビデオ

 今日は一月ぶりに妻が産婦人科に行った。ちょうど妊娠5ヶ月目に当たるのだが、この時期が一番ビデオ録画に適しているらしい。
 
ビデオ録画というは、つまりエコーで胎児の状態を確認する際に表示するモニターの画像をビデオに録画するというもので、専門家でないものがいきなりみせられてもなんのことかさっぱりわからないシロモノだ。
 
世の中には、鮮明でわかりやすい3D表現のできるエコーを持っている産婦人科もあるらしいが、それはお金持ちの世界の話。私は、白黒のテレビの終わりのような砂嵐的ノイズワールドの中に、わが子の存在を確かめた。
 ビデオ録画時には先生が妻に対していろいろと説明をしてくれてるのだが、ビデオ自体はまったくの無音なので、妻からの説明を聞きながらそのビデオを見たのだが、妻からの説明ではまったく意味不明だし、表示内容が非常に不安定で、せわしなくあちこちに動いているため、真剣に見ていると眩暈がする。せいぜい5分ぐらいの録画内容だが、一度見ただけで随分疲れてしまった。
 
ただ、はっきりしていることは、妻の体内にはすでに別の命が存在しているということだ。背骨のようなものが見えたり、ドコドコと脈打つ心臓が見えたりした。男か女かもわからないが、あれは確かに人間のようだった。
 
父親になりつつあるのかなぁ、という曖昧かつ漠然とした認識から、ほんの少しは現実味を帯びて、「実感」というものに触れた気がする。
 
ビデオはこれから親族の家庭を巡って、うちのチビは生まれる前にお披露目されることになる。いよいよ父親として後戻りできない。いや、もともと後戻りなんて許されないわけだけど、とにかくそういう気持ちになった。ああ、いよいよだな、と。
 
でも、本音としては「もう前置きはいいから、そろそろ生まれてくれ」って感じでもあるわけで。