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吉村ゴンゾウあわー

自作のショート・ショートや読書感想などをアップしています。気負わず適当にやります。テーマは「中途半端を恐れない」。

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悪意に満ちた書

悪意悪意
(2001/01)
東野 圭吾

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 年末に読んだ本なので、ちょっと時間が経ち過ぎているが、面白い本なので感想を少し。
 推理小説が嫌いではなく、何冊かは読破しているという人に是非おすすめしたいのが、この「悪意」だ。賢明な読者なら読み始めてすぐ、「ははぁん、こういうことかな」と勝手に推理が働くしかけがあり、そのすぐあとに「まさか」が連続する。「こうじゃないか」「まさか」「ひょっとするとこうかな」「まさか」という感じで話が二転三転して、私もゴロゴロと転がされているうちにすっかり翻弄されてしまった。そして意外すぎる結末のあげく、衝撃の「悪意」の本質が告げられて幕を閉じる。
 この作品は、小説であればこそのテクニックとトリックをふんだんに用いた、まさに推理作家・東野圭吾の悪意に満ちた挑戦的な小説となっている。冒頭から、二重三重の罠があり、しつこすぎる刑事がいて、その刑事の動きすらを利用するしかけがあり、それすら見破って真相に迫る徹底した疑いがあり、ついには「人はなぜ人を殺すのか」という哲学的な問いに切り込んでくる。この動機の謎こそがこの小説の最大の焦点だ。
 特筆すべきは刑事加賀恭一郎の執拗な疑いと、しらみつぶしの捜査力にあると私は思う。読者はまるで捜査員の一人として加賀と共に犯人を追い詰めるべく捜査しているかのごとき臨場感のある筆致で捜査編は綴られる。その一方で、「書かれていることは真実である」という小説の基本的構造に食って掛かるアンチテーゼが展開されており、加賀の推理さえ真偽が読めなくなってくる。よって、あくまで公平に伏線とヒントがちりばめられているにも関わらず、すっかりトリックにはまってしまい、なにが真実かわからない。しかし、優秀な加賀刑事はついに真相を突き止めて、完璧な立証で見事に読者を満足させてくれる。真実でないものをすべてあぶり出そうとする静かな迫力に圧倒されるし、とても共感できる。
 真相を知って私が最初にしたことは、もちろん最初から読み直すことだった。そしてあまりにもしたたかな作者のやり口に舌を巻いてしまうのだ。これは犯人対刑事の頭脳合戦の物語ではない。作者から読者への狡猾な挑戦なのだ。私などはその秀逸なしかけにすっかり心酔して、ああ、あなたはなんて偉大な作家でしょう、と心から賛嘆したくなってしまう。
 推理小説を少しでも知っているなら是非読んで欲しい。こんな手法の推理小説もあるのかと、きっと驚くに違いない。

勧悪懲悪のすごい奴

暗礁 上 (1) (幻冬舎文庫 く 10-1)暗礁 上 (1) (幻冬舎文庫 く 10-1)
(2007/10)
黒川 博行

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 会社の大先輩から、よく本のお下がりを頂いている。読むことが好きな割りに読書量が少ないのはお金がなくて本が買えないからだと誤認識していただいている背景もあって、私が買いそうもない本をたくさん読ませてくれるので、ここ数年で私の読書の幅はうんと広がった。広がったとは言え、せいぜい中高校生レベルから脱出できたかどうかかもしれないが。
 このほど新しく出会うことになったのが、黒川博行作品。先輩からは「むちゃくちゃ面白い」との前置きをもらってから読んだのだが、まさに聞きしに勝る面白さ。シリーズの3作目ということらしいのだが、特に支障なく最後まで読めた。
 特筆すべきは恐ろしいほどのリアリティだ。現実に世界の仕組みがこの小説の通りになっているのではないだろうかと真剣に考えてしまうほど、実に詳細に構造的に社会の一面を切り取っている。ある意味人間らしいともいえる醜くさを登場人物のほぼ全員が持っていて、特に威張り腐っているお金持ちがどれほど多く、どれほど汚いかを執拗に描くその筆致にはおぞましいほどの恨みさえ感じるほどだ。
 舞台の中心地は大阪、そして奈良と兵庫の神戸。地名や道路などの記述も詳細で、地理関係もリアルそのもの。登場人物が話す関西弁も地域ごとに微妙な使い分けがあり、気持ちの悪い妙な関西弁は一言も出てこないという徹底振り。こうした細やかなリアリティが、作品の中心テーマとなる本当の嘘を巧妙に隠しており、痛快無比な冒険活劇であると共に、上質なミステリーとなっていることを賞賛したい。
 ざっくりといえばヤクザ系の小説だが、堅気の青年と超イケイケのヤクザがコンビを組んで、漫才さながらの掛け合いを展開しながら、お金儲けの悪巧みを進めていくさまはとにかく楽しい。口だけが達者でなんのとりえもない堅気の主人公と、頭が切れ知識もお金も豊富に持っていてしかも喧嘩で負けたことのないイケイケのヤクザ。欲が先に立って何にも怖いものがないヤクザの無茶苦茶な言動に、窮地に追い込まれて怖いものだらけの堅気が振り回されるだけでも面白いわけだが、それだけではない。
 この堅気の主人公が人並みに欲もあってなかなかふてぶてしく、人間的過ぎてかっこいいところが一つもないのになぜか肩入れしてしまいたくなる愛嬌のある人物なのだが、時に鋭いことを言って、ヤクザなどの悪人の代表格を煙に巻いたりやり込めたりするのだ。一番弱い立場のはず金も権力も持たない堅気の人間が、正義を立てに極悪人にほんの些細な反抗をして見せるのである。ここが面白い。ヤクザ世界の理屈や汚れたお金持ちの理論は一般の堅気には通用しない。道理や正論の前では暴力や権力も一瞬のためらいを見せる。ま、一瞬だけど、そこに爽快感を感じる。
 文庫本にして上下巻の長編だが、冗長な感じは一切なく、息もつかせぬ急展開が連続する。複雑な人間関係も詳細な説明があり安心して読める。氷山の一角を吊り上げようとしてなかなか上げられず、ようやく全貌が姿を現すと地面と繋がっていた、というような、とにかく読み応えがあるミステリーとなっている。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

鳥人計画

鳥人計画 (角川文庫)鳥人計画 (角川文庫)
(2003/08)
東野 圭吾

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 鳥人計画を読んだ。題材はスキーのジャンプ競技という、私などは普段あまり接触のない分野。かなりスキーの専門的な知識が盛り込まれた推理小説で、最初はちょっととっつきにくい印象があった。登場人物も結構多い。ところが、読み進めるうちに、スキー競技を行う者、またはその取り巻きにいる者の心情というものが徐々にわかるようになり、一人一人の人物像がはっきりとした輪郭を持つようになる。スキーの専門用語にもなんとなく慣れてきたころ、犯人は誰だ、という推理小説の基本命題が突然崩れ去り、不可解な犯人像が浮き彫りになる。そう、この小説に与えられた重大な『謎』とは、なぜ犯人は殺人を犯したのか、なのだ。さらには、この犯人を小説の序盤から見抜いてしまう覆面の名探偵の存在が現われる。その名探偵は、どうやって犯人を見抜いたのか、そして名探偵は一体誰なのか。見抜かれた以上はどこかにほころびがあったわけだが、犯人は完全犯罪に自信を持っているし、警察も手がかりをつかめない。その三者にらみ合いのこう着状態のなかで、スキープレーヤーの一人が新たに探偵役の名乗りをあげる。そして一気に事件の背景にあった恐怖の真実が明らかになると同時に、犯人が犯した失敗がどこにあったが判明。そしてその失敗は、事件の真相をありえないものへと変えていく、とんでもない事実だった。
 結果至上主義がもたらした、神への冒涜ともいえる科学力がたどり着いた先には、人間を人間らしく生きることを否定してしまう悲劇が待っていた。
 挑戦的で、悲しい物語。自信を持っておすすめしたい。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

レイクサイド

レイクサイド (文春文庫) レイクサイド (文春文庫)
東野 圭吾 (2006/02)
文藝春秋

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 レイクサイドマーダーケースという映画についてのニュースを見たのはいつごろだったろうか。当時はまだ東野圭吾についてもまだ知り始めたばかりだったので、映画化されるような作品なら是非一度読みたいと思っていたのだ。
 あれからどれくらいたったのだろう。その小さな動機はくすぶりながらもずっと私の心の奥底で息づいていたようだ。ふと、レイクサイドという文言をコンビニの書籍コーナーに並ぶ背表紙の中に見つけたとき、ああこれはもしや運命の出会いではなかろうか、とまで思って衝動的にレジに持ち込んだのだった。
 読んでみて思うことは、やはりこの作者は只者ではないという、今更ながらのことだった。もし、万が一、東野圭吾という人の名前を知っていながらも、この作品に触れたことがないという方がいれば、まず間違いなく、今はこの本を薦めるだろう。
 推薦するポイントは3つある。まず第一に、あまり長いストーリーではないので、長編が苦手な人でも抵抗なく楽しめると思う点だ。かといって短編と呼べるほど薄っぺらなものではなく、ストーリはあくまで重厚。私などは、読み始めてから数時間、あっという間に当日中に読み終わってしまった。
 第二には、一気に読み終えるまで止められないその中毒的面白さを挙げたい。複線が幾重にも張り巡らされていて、知らず知らず謎を追い求める主人公に感情移入していくうち、何かしっくりいかない答えを掴まされてはそれに振り回され、一つの疑問に答えが出たと思えば、新事実により新たな疑問が生じるといった具合に、とにかく先が読めない。そして驚きの真相と、あまりにも意味深長な結末。ほんの短い間に、ばたばたとこれらのことが通り過ぎるのだから、確かに映画向きなのかもしれない。とにかく息もつかせぬ面白さなのだ。
 最後の第三には、この作品が抱えている重厚なテーマについて言いたい。もちろん読めばわかるのだが、このストーリーには現代社会が抱える大変な難問が提示されている。単に考え方の違いでは割り切れない、人間らしさに関係する疑問である。
 実は、この作品に関わらず、東野圭吾が描くストーリーには、この手の疑問が殺人事件の背景に黒々と澱んでいることが多い。人間が人間らしく生きることと、普通の人が普通に現代社会を生き抜くことが相反するのか否か。その関係にネジレが生じたときに殺人事件が起こるのではないのか、という問いかけである。
 特にこの作品に取り上げられているのは、子供と教育がテーマだ。私も子を持つ親の立場になったからか、読後に何かとても重いものを背負わされた気になったのだ。

平面犬

 乙一先生の「平面いぬ。」を読んだので少しだけ感想を。
 テイストの違う4作品を楽しめた。4話とも、とても乙一的。

『石ノ目』
 ある土地に根付く怪談にまつわる物語。怪談を信じたり、疑ったり、もう1人の主人公である女性を疑ったり信じたり。ミステリアスなストーリー展開の果てに、主人公と読者をバッサリと裏切る真実。閉塞感が息苦しく、私はのめり込めなかった。

『はじめ』
 もっとも気に入っている話。というより、もっとも気に入っている登場人物がはじめだ。はじめとともに過ごした幾度もの冒険や事件や思い出が、私の中からまだ消えない。私は小学生の時から電車に乗って私立の学校に通っていたため幼なじみがいなかった。幼なじみと過ごす悲喜こもごもがうらやましくもあり、切なくもあり。なんだか懐かしい恋心を刺激されて、ため息ばかりをついてしまった。私は、はじめが好きだ。

『BULE』
 これはよい。とてもいい。ファンタジーをファンタジーだとわりきって書いてる感じに、妙に共感する。でもファンタジーっぽさの中にある人間味の、なんと深いこと。人間模様のなんとグロテスクなこと。ファンタジックな世界にリアルな事象をちりばめるあたり、作者の持つ毒を感じる。アルコール中毒の女性の最後が、ピストル自殺であったことに、現実の厳しさを見た。ただし、ブルーは幸せであったと私は感ずる。同じ、もしくは上等の境遇にあるものの方が不幸せであった。環境や境遇や、持って生まれた個性によって、幸不幸が必ずしも左右されるものではない。その違いは、心根一つで決定される、ということだろう。

『平面いぬ。』
 これは、重い。一気に読みきるには、ちょっと重過ぎて、ページをめくるのにためらいがあった。悲惨な境遇の中で、あえて能天気に生きようとするのは、もしかしたら誰もが持つ防衛的本能のなせる技なのかもしれない。私の父が癌で亡くなった時に、私の感情の変化起伏は論理的に説明できない状態であったし、傍目に見ると異常であっただろう。しかし、それは私の防衛本能が、自分の精神を楽な方へと導いていたのだろうと、今になって思う。そこからわざわざ自分を追い込んでしまうと、もう生きられなくなってしまうから。そんな人間のどうしようもない弱さと、かっこ悪いところを晒してでもそこから立ち上がって生きる強さ。その両面をこの作品に見れた気がする。

思い出す事

 つまりは、リハビリなわけで。
 しばらくブログの更新をしてなかったので、気の利いた記事がかけないというのはただの言い訳だが、久しぶりにショートショートをアップしたかったのに、色々書いているうちに挫折。結局、昨日に続いて乙一作品の読書感想を少しだけ。
 「天帝妖狐」を読んだ。「夏と花火と私の死体」のデビュー後すぐの2作目ということだが、ここにきていよいよ乙一の本領が発揮され始めている感じがする。天帝妖狐は、とにかく真っ黒で、しかしその黒一色のなかにすでに白乙一が内包されているようで、激しく切ない。
 構成があまりに巧みで、読み終えてすぐに冒頭から読み直して思わずうなり声を上げてしまった。しかも電車の中で。ストーリーを私なりに分析して、絵画を鑑賞するときに鼻先ほどに間近で見た後で遠くから眺めるように作品全体を見渡した時、作者のストーリーテリングのあまりの上手さに舌を巻いてしまった。緊迫のシーンへの時間軸の絞りこみと卓越した人物描写により、主人公の葛藤、対立の心理が痛いほど伝わってくる。人間としての自分と、非人間としての自分の乖離が肉体面と精神面と両方に訪れてくる緊張感。心から渇望しているものを手に入れてはいけないという自縄自縛の絶望感。生きていれば誰しもが経験するであろう“自らに科したせつない贖罪”が私の胸の奥にもうっすらと蘇り、押しつぶされるような暗い気持ちになった。
 これは、もしかしたら失恋の感情だったかもしれない。住む世界の違う、しかし一度は分かり合えたものが、やはり自然の摂理に逆らえずに永遠に引き裂かれてしまう。私の場合は過去の失恋だったかもしれない。
 いや、それだけじゃない。いろんな事が私の胸には渦巻いていた。他人と違うってことが怖かった事。人と同じじゃなくてもいいやと開き直った事。自分が他人とは違う「自分」であることに気づかされ、傷ついた事。それを誇らしく思えるようになった事。でも分かり合えなくて泣いた事。他人を傷つけて自分を守った事。そんな「自分」な存在を認めることで、他人を尊重できるようになった事。
 そういう感情を読む人の心に湧き出させずにはおかない物語だった。
 でも、これってホラーじゃないよね。やっぱり。

いまさらながら、

 本当に「いまさらながら」だが、ようやく乙一「夏と花火と私の死体」を読んだ。乙一デビューの歴史的名作を読まずして乙一ファンを騙っていたのだから、私がいかに本を読まないかがわかるというもの。
 とにかく強烈な刺激だった。私はとかく影響を受けやすい。しかし、これは久しぶりの最大クラスの衝撃だ。これより前に受けたのも、やはり乙一で「幸せは子猫のかたち」だったと思う。あれも強烈だった。
 どのように刺激を受けたかというと、私の場合小説に限らず何かに感動すると「書きたい」という衝動に駆られることが多い。「夏と花火と私の死体」を読み終えたとき、自分にも読む人をあんな気持ちにさせる文章が書けるのだろうか、という後ろ向きな気持ちの方も湧き出てきたが、できるかできないかとかではなく、とにかく「書きたい」という気持ちを揺り動かされた。感動した。
 「夏と花火と私の死体」は学校の教科書に載せたいくらいのミステリのお手本だと思う。これを書いたときに作者が16歳だったということがよく話題となっているが、誰もが驚嘆する事実だろう。まさに天才としか言いようがない。16歳の時に自分が何者であったかに思いをめぐらせると、乙一が住んでいた世界と自分の世界は別物であるかのように思う。しかも彼はそこから成長のスピードを緩めずにどんどん高みへと上っていってしまった。もう背中は見えない。一方、こちらの成長のスピードは、時にマイナスに傾き、時には平行線をたどり、振り返ってみると10歳も16歳も28歳も生み出せるものは大して変わらなかったりする。
 著名な作家から大絶賛を受けている小説について、私などがいまさらなんらかの評価をするのは失礼というものだろう。いわく、無駄のない複線。いわく、巧妙な語り口。いわく、緊迫する展開。いわく、驚愕の真実。本人はこれを「ワープロの練習のために作った小説が、たまたま褒められた」などと語ったというから、もう乙一そのものがミステリだし、あまりにカッコいいではないか。
 前からあこがれてはいたが、やはり乙一こそ私の目指すべき作家だと感じた。私はあきらかに天才ではないので、努力を重ねても足元にも及ぶまい。しかし、あきらめずに努力すれば一歩でも前進できるはずだ。そう信じて、今日も新聞記事を書いている。

「ミステリーの書き方」を読んで

 「ミステリーの書き方」アメリカ探偵作家クラブ
 もう一冊、小説作法系の本を読んでみた。なぜミステリかというと、単に読者としてミステリが好きだからだ。ミステリを書いてみようと思ったことは何度かあるし、実際にしょぼいミステリを小説に仕上げたこともある。中学生のころやたらとショート・ショートを多作していたのも、実はミステリをやりたかったからで、プロット作りの練習にと考えていた。実際には、ミステリらしいアイデアを思いつくこともなく、ひたすらとるにたらないアイデアをもとに稚拙な文体で大学ノート1〜2ページぐらいのショートショートを約2年間で300近く書いたのだ。後半になると徐々に文章が長くなり、細かい人物描写や複雑な会話文にも取り組むようになって、いつしかショートショートの枠にはまらないものを書くようになったのだが、そういう意味では、文章を練る訓練にはなったのではないかと思う。その後、高校生になって、松本清張などを読むようになり、高校生らしからぬ陰鬱な状況設定のミステリばかり考えた時期もあった。また、テレビドラマやマンガ、映画などで名探偵が流行した時期でもあり、名探偵の人物像を生み出そうと悶えたりもした。
 結局、私自身に名探偵としての素質がなく、また完全犯罪を成そうとする知能犯の頭脳もなく、書くものとして魅力的なプロットを生み出す実力がなかったため、誰にもみせることのできないほどの残念な小説やそのできそこないを量産するだけだった。
 ミステリは読むに限る。当時はそう結論付けた。しかし、ミステリを完全にあきらめたわけではない。書けるものなら、自分が一番読みたいものを書きたい。やはりミステリは魅力的だ。そこで、この本である。
 ズバリ、読み応えがある。書こうとする立場というより、一読者としても、ミステリの舞台裏、作家の仕事風景をのぞき見れることに恐ろしく興奮する。英文の直訳的な部分もあり、または日本的ではない説明や例文などもあって、そのすべてを取り込めるとは思えなかったが、それにしてもこのボリューム。一体何人の作家が、この原稿の執筆にあたっていることか。一人や二人の小説作法が聞ける本は多いが、これだけ多くの作家が、しかもミステリ作家に限って、さまざまな「そこが知りたい」に応えてくれるのだからたまらない。読んでいると、だんだんワクワクテカテカとしてきて、なんだか何かを書き始めずにはいられなくなるのだ。
 作家志望やミステリ好きでなくとも、ミステリを一度でも読んだことがあるのなら、是非一読して欲しい。

毎日ピーナッツを一粒

「マンガを読んで小説家になろう!」を読んだ。
 久々に、小説作法的な本を購入したのだが、これはかなり衝撃的。
 昨日、仕事から帰ったらアマゾンから届いてて、食事のあと子供の世話しながら読み始めて、風呂に入るまでに読み終わっちゃうほどお手軽な本ではあるが、なんとも赤裸々で実用的な内容に度肝を抜かれた。
 あえて本筋には触れないが、題名よりもその主張のほうが斬新かもしれない。それなのに、どんどん引き込まれるというか、「なるほど、そうだったのか」と納得してしまう理論性の高さを持ち合わせているのだ。作家養成講座のような事も長年されてきたというノウハウが、平易な文章で大変わかりやすく整理されていて、「これならば私でも・・・」と思わせる説得力に満ちている。価格以上の値打ちがあったと思う。
 最後の方のコラムに印象的なエピソードがあったので、簡単に紹介する。それは、とある予備校で講師が受験生たちに語った「絶対に志望校に受かる方法」。やり方は、簡単。毎日ピーナッツを一粒づつ食べる。ただそれだけ。やり方は簡単だが、これを毎日続けることは相当難しい。これを教わった受講生のうち、これをやり遂げることができたのはたった一名で、その人は志望校に合格したそうだ。
 もちろん、ピーナッツに頭脳を明晰にする秘密があるわけではない。単純で、まるで意味のなさそうなことでも、目標のために執着を持って毎日続ける、その強固な意志があれば、達成できない目標などないという話だ。
 そう言えば、陸上で中学生の全国一を陸続と排出した熱血教師で有名な原田隆史さんのエピソードにも、生徒に必ず毎日皿を洗わせる、という指導があった。たとえ高熱がでて布団から立ち上がれなくても、母親に枕元にたわしと皿を持ってこさせて洗う真似事をさせるほど徹底したという。当然、皿を洗うこと自体は陸上競技のいかなる技術とも関係しない。しかし、「私は目標達成のために毎日、一日たりともかかさずに皿を洗った」という自信が、子供たちを大きく変えるのだ。
 受験生には勉強が必要だが、まずは勉強を続ける決意が必要だ。スポーツで結果を出すには筋肉や技術が必要だが、自分を信じ抜く心も必要だ。作家を目指すものにも、書く鍛錬とともに、それを支える魂の鍛錬が必要だということなのだろう。
 このブログもいいかげんなペースで気ままに更新してきたが、もう少し真剣に取り組んだほうがいいかもしれない。まあ、生活のために仕事でほぼ毎日、新聞記事を書いてはいるのだが・・・。

失われることの恐怖


 「失はれる物語」乙一を読んで。
 著者の作品が好きだ。ただ、その好きには複雑な感情があり、素直に尊敬することができない。
 私は、昔から小説家になることを目指してきた。ところが、ただ努力を怠ってきた結果というだけでなく、目に見えない才能の壁にはばまれて、今はほとんど断念している。しかし、心の奥底にくすぶる夢と、それを達成できないという現実にぶち当たった悔しさは、ぬぐってもぬぐいされないものだ。
 そんな私が、乙一の作品に初めて触れた時に受けた衝撃はかなり強いものだった。なぜならば、乙一こそ私が理想としていた作品を具現化する作家だと感じたからだ。読むに付け、こんな作品を描くことができたらと、せつない気持ちが広がってしまう。しかも悪いことに先生と私の年齢はかなり近い。かたや若くしてプロデビューし、美しい作品を連発。独特の世界観と筆致で支持層を確立している。その一方で、比較するのもおこがましいが、読書量も一般的な作家志望より圧倒的に少なく、書いた小説の本数も少なく、書いてもまともな小説には仕上がらず、新人賞に応募しても軒並み一次予選を通らない私。果ては弱小業界紙の記者になり、結局のところ記者にもなりきれず、記者を演じつつ他人真似事を繰り返す日々。先生がデビューした頃、私は一体何をやっていたのだろう。私がせっせと記事を書いている間、先生は一体どれほどの仕事をやり遂げたのだろう。そう考えると、悔しさと切なさでえもいわれぬ気分になって、羨望と嫉妬と尊敬と絶望の入り混じったうつろな瞳で先生を仰ぎ見てしまう。
 失はれる物語を読み終えたときも、そんな気持ちが私の胸を満たしていた。なんてウマイんだろう!なんてイイ話なんだろう!なんてミステリアスなんだろう!なんて美しいんだろう!なんで悲しいんだろう!
 憧れの乙一に私が追いつくことはないだろう。でも、その遠い背中を見つめて続けていたいとは思う。遠すぎて目標にこそならないが、目指す方向を指し示す星の一つとして認識しておこう。
 「しあわせは小猫のかたち」は中でも一番心に響いた。「マリアの指」や「手を握る泥棒の物語」もかなり好みだ。ミステリ好きにも薦めたい。

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