<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?><rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns="http://purl.org/rss/1.0/" 
			xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" 
			xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/" xml:lang="ja">
<channel rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/?xml">
<title>吉村ゴンゾウあわー</title>
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/</link>
<description>自作のショート･ショートや読書感想などをアップしています。気負わず適当にやります。テーマは「中途半端を恐れない」。</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<items>
<rdf:Seq>
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-67.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-66.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-65.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-64.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-63.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-62.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-61.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-59.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-57.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-56.html" />
</rdf:Seq>
</items>
</channel>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-67.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-67.html</link>
<title>HDDクラッシュ</title>
<description> 　忙しい日々だ。　どれだけ忙しいかと言うと、パソコンがぶっ壊れてもうずいぶんたつがなんともできず、結局修理もしないままに姉の使い古しのPCをもらいうけることになった。もらいうけはしたが、電源も立ち上げずさらにずいぶんと時間が過ぎた。　しかし、一度はPC中毒になって、ネットにつながっていないと不安で、幻覚を見たり手が震えたりしたこともある私だ。生活習慣がかわったからといってPCの必要性がなくなったわけでは
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　忙しい日々だ。<br />　どれだけ忙しいかと言うと、パソコンがぶっ壊れてもうずいぶんたつがなんともできず、結局修理もしないままに姉の使い古しのPCをもらいうけることになった。もらいうけはしたが、電源も立ち上げずさらにずいぶんと時間が過ぎた。<br />　しかし、一度はPC中毒になって、ネットにつながっていないと不安で、幻覚を見たり手が震えたりしたこともある私だ。生活習慣がかわったからといってPCの必要性がなくなったわけではない。やむにやまれぬ事情があり、つい先週初めて電源をいれて姉が残したファイルを二日がかりで整理した。PCが壊れる以前のかつての環境に戻すにはさらに膨大な時間が必要となるが、そこまでのパワーはない。<br />　HDDクラッシュの衝撃は、想像を遥に超え、私を究極のPC無気力状態にいざなったのだ。愛着が強かっただけに、拒絶も大きかった。忙しすぎるから。それは言い訳だったのかもしれない。<br />　緊急的に必要なやむにやまれぬ作業はあっさりと片付いた。丸2日、PCにかじりついて、寝ずの作業だったが、PCとの格闘は嫌いじゃない。時間はあっというまに過ぎたが、楽しくもあった。<br />　今日、ふと思い立って久しぶりに自身のブログに訪問してみると、いがいと訪問者が増えていてびっくりした。いまだに逆転裁判のレビューを見に訪れるひとがいるからだが、それでもだれかがここに来ているということは、なんだか私を心地よくさせる。<br />　ここまで放置したブログだし、そもそも固定客のあるわけでもない。私の身近な人でここを知ってる人もいない。いつ閉鎖しても後ろ髪を引かれることはないわけだが、HDDがクラッシュしてすべてを失ったはずの私にしてみれば、唯一残った過去の遺物がこのブログでもあるのだ。思えばかわいい存在だ。<br />　仕事が変わって、書くという作業がここまで日常から切り離されているということに、最近改めて気付かされた。私は転職していらい、まずほとんど文章を作らなくなった。せいぜい業務連絡などでのケータイメールが関の山だ。練るほどの工夫を凝らす余地はない。<br />　逆に口を使って人としゃべる量は格段に増えた。人はしゃべることでコミュニケーションをとる。それは文章をじっくりかんがえるのとはまったく別の大変テクニカルでスポーティーな競技だ。表情、トーン、身振り、スピード、リズム感、相槌。それらのすべてを瞬間的な判断のもとで演出しなければ、いわゆる「うまいトーク」にはなりえない。「うまい文章」を目指して鍛えた筋肉は何の役にもたたないのだ。<br />　当然、使わない筋肉は衰える。それが自然の摂理だ。私はゼロに等しかった話す能力を鍛えながら、書く能力を少しずつ捨てている。つまりそれは、HDDがクラッシュしてもそれに対処しないということなのだ。今までとは逆方向のベクトルに歩みを進めてしまっているから、それが平気なのだ。<br />　ふと、このブログに立ち寄ったとき、私は自分が信じてきた自分の能力をもしかしたら閉じてしまったのではないかと、不安になった。本当にクラッシュしたのはHDDではなかったのかもしれない。<br /></span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:date>2009-10-10T00:30:12+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-66.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-66.html</link>
<title>苦闘5ヶ月</title>
<description> 　保険やに転職してもうすぐで5ヶ月が過ぎようとしている。たいした挙績もやらずに居座れるのも、そろそろ限界だ。いよいよ、爆発的に数字を挙げるか、爆発的に一家離散かの選択がさしせまっている気配を感じる。　この5ヶ月間、一切ブログの更新もせずにいたのは、やる気がなくなったからでも、のほほんとのんびりしていたからでもない。仕事に打ち込み、または打ち込みきれず、精神的にも肉体的にも日々気力を使い切ってしまい、
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　保険やに転職してもうすぐで5ヶ月が過ぎようとしている。たいした挙績もやらずに居座れるのも、そろそろ限界だ。いよいよ、爆発的に数字を挙げるか、爆発的に一家離散かの選択がさしせまっている気配を感じる。<br />　この5ヶ月間、一切ブログの更新もせずにいたのは、やる気がなくなったからでも、のほほんとのんびりしていたからでもない。仕事に打ち込み、または打ち込みきれず、精神的にも肉体的にも日々気力を使い切ってしまい、とても書く作業へと行動を起こすことができなかったのだ。<br />　しかし、書くべきことがないわけではない。それはそれは、刺激的な５ヶ月間だった。一ヶ月とはこんなに早いものかと驚くほど、アウトプットするための余裕が無かっただけなのだ。この間に学んだことは、これまでに学んできたこととは、まるで違う次元で、新しい世界に飛び込んで来たことを毎日実感できるような日々だった。しかし、学んだことを即実行に移せなければ、この世界では学んだことにはならない。インプット即実行であり、自分で考える、租借するという暇はまるでない。自分で考えるクセを身につけることも重大な要素の一つなのだが、考えて動かないよりも、何も考えず言われたことを愚直にこなすことのほうが何万倍も価値的なのだ。<br />　まったくの異業種からの転職なので、戸惑うことも多いだろうと想像はしていたが、あまりに何から何まで違うので、実際は戸惑うどころの話ではなかった。それでもなんとかしがみついて、やれるだけのことはやってきたつもりだ。しかし、会社は私の成長など微塵もまってはくれない。使えないやつはいらない。当然のことだ。なんとか使える自分にならなくてはならない。<br />　次回からは、この激動の数ヶ月間で学んだことを少しずつでもアウトプットしていければと思う。そうすることで、私が学んできたことを無駄にしなくてすむと思うからだ。私の挑戦は続く。<br /></span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:date>2009-03-22T11:50:13+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-65.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-65.html</link>
<title>人生初の第一次選考突破。</title>
<description> 　今年九月。４年前に文学界新人賞に応募して以来、久しぶりに新人賞に挑戦した。きっかけは尊敬する先輩が紹介してくれた、とある新聞社の編集長の勧めだった。いわく、とにかく短編を一本一本ものにする力を磨くことだと。そのほかさまざま指導いただいたが、北日本文学賞への応募へ背中を押してもらったことが、私にとって最大の激励だった。　賞の締め切りは9月30日。この話を聞いたのが8月の末だったので、締め切りまで実質一
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　今年九月。４年前に文学界新人賞に応募して以来、久しぶりに新人賞に挑戦した。きっかけは尊敬する先輩が紹介してくれた、とある新聞社の編集長の勧めだった。いわく、とにかく短編を一本一本ものにする力を磨くことだと。そのほかさまざま指導いただいたが、北日本文学賞への応募へ背中を押してもらったことが、私にとって最大の激励だった。<br />　賞の締め切りは9月30日。この話を聞いたのが8月の末だったので、締め切りまで実質一ヶ月をきっている状態だった。しかしあのような激励を受けて、このまま挑戦しないというのは自分の夢に背を向けるとの同じ行為だと思っていた。また先輩や、その編集長を裏切る行為でもあった。<br />　私が４年間も新人賞の応募から遠ざかっていたのにはわけがある。わけといっても言い訳に過ぎないのだが、新聞記者として書くという仕事をしながら、時間と精神力を搾り出して作品作りに取り掛かるというのは大変な作業だった。それでも４年前にはできたのに、それから４年間もできなかったのは自分の生活にある程度満足を覚えつつあったからかもしれない。いや、満足とはちがう。どちらかというと、それは諦めに近かった。自分は一応プロとして文章を書く仕事をしているじゃないか。それが私の望みじゃなかったのか、と。実際のところ、業界紙の記者としての生活は私の望みでもなんでもなかったのだが、気に入っていないわけでもなかったのだ。<br />　そんないい加減な気持ちのまま、４年という月日は本当にあっという間に過ぎていった。そして、去年の秋頃から私はすでに退職の危機にあった。私のやる気のなさはあからさまだったのだろう。今年の春からは本格的に転職活動を始めてさえいた。実際のところ８月の末には、もうこの仕事が続けられない事は決まっていた。尊敬する先輩から某社の編集長を紹介してもらったのは、そんな時だったのである。<br />　正直、今それどころじゃない、よね。という言い訳が頭をよぎった。でも、ここで約束を果たせなければ、私は一生もう文章を書く仕事には就けないという確信があった。私は、どうしても自分の未来に背を向けたくはなかった。<br />　仕事と転職活動と応募原稿の作成。今まで以上にハードな環境での挑戦になってしまった。ここまで追い詰められなければ、私は本気になれなかったのかもしれない。しかし、いかんせん時間がなかった。たった数十枚の短編を仕上げることに、これほどまでの労力を使わねばならないことに、焦りを覚える。私は知らず知らず、長い間現役を離れていたのかもしれない。<br />　結局、締め切りの９月３０日が来てしまった。正直、満足のいくものは私の筆からは誕生しなかった。試作を重ねるうちに、問題点を抱えたまま締め切り当日を迎えてしまったのだ。<br />　もちろん、ここで投げ出して「間に合わなかった」と、投稿しない道もあっただろう。実は、この９月３０日こそ、上司に退職届を提出した日でもあるのだ。私は２通の封筒を胸に抱え、この日を迎えた。一通は、会社との決別。一通は、北日本文学賞への挑戦状だった。<br />　恐らく、今回の投稿で栄光をつかむことは無いだろう。しかし、私は自分との約束を破らなかった。傷ついた体であっても、とりあえず土俵に上がった。負けてもいい。でもこれからも、まだ戦える。私は、自身への決意表明をやり遂げて、この戦いに幕を閉じ、また６年半の記者生活とも別れを告げた。<br />　転職もうまく事を運び、新しい職場での一ヶ月があわただしく過ぎていった。その間、北日本文学賞では第一次選考が行われていた。１１７４編の応募の中から３９４編が通過したという。そして今日、私も一次選考通過者がアップされていることに気がついたのだ。<br />　私の作品は、なんと第一次選考を通過していた。私の小説を誰かが読んで、これは通過だなと判断してくれたのだ。これは単純に嬉しかった。たかだか第一次選考通過かもしれないが、記者としてではなく、作家としての可能性を誰かに認められたのだ。それ自体が、とても夢のあることに思える。「一次選考どまり」という集団があり、明らかにそれ以降の方々との線引きがあるらしいことは了解しているつもりだが、まだ夢を諦めるのは早いと前向きにこの事実を受け止めたいと思う。<br />　なにより事実、作家としての可能性を公的に評価されたことは人生で初めてなのだから。</span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:date>2008-11-30T22:44:05+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-64.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-64.html</link>
<title>断乳！</title>
<description> 　このほど、ついに断乳を決行した。今思えば、もっと早くやっておくべきだったのかもしれない。と言うのも、思ったよりあっさり断乳に成功したからだ。　うちの娘は、とても小さい。異常というほどでもないが、145センチの家内から出てきた娘なので、ある程度小さいのも当然なのかもしれないが、一歳を過ぎたあたりから成長曲線の下端から大きくはずれて、身長も体重も成長がずいぶんゆっくりになってしまっていた。　一歳半検診
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　このほど、ついに断乳を決行した。今思えば、もっと早くやっておくべきだったのかもしれない。と言うのも、思ったよりあっさり断乳に成功したからだ。<br />　うちの娘は、とても小さい。異常というほどでもないが、145センチの家内から出てきた娘なので、ある程度小さいのも当然なのかもしれないが、一歳を過ぎたあたりから成長曲線の下端から大きくはずれて、身長も体重も成長がずいぶんゆっくりになってしまっていた。<br />　一歳半検診で、この原因は乳離れできていないことで食が進んでいないからだと断定されていたのだが、なかなか断乳に踏み切れないでいたのは、断乳によって生活に支障をきたすのではないかという不安があったからだ。父親にも協力を得なければとうてい乗り越えられない試練だと聞かされていたので、「クビの勧告→転職活動→退職→転職→新生活」という人生の重大な転換期に入っていた私にとって、とてもじゃないが今はやめてくれ、という態度を取らざるを得ない心境であったのだ。家内のほうでもそのような空気を読んでいたらしく、さんざん文句を言いながらもなかなか断乳に踏み込もうともしなかった。<br />　そこを一気に乗り越える気になったのは、家内がかかえていたやりきれない事情があったからだ。もともとあまりに授乳の回数が多いので、家庭を守る主婦業の妨げになるという不満は大きかったのだが、授乳のし過ぎで歯がぼろぼろになってきていたのだという。授乳中に歯が折れるという私からしたら理解不能の体験を繰り返すうちに、激しい歯痛に襲われるようになったのだ。<br />　なぜこのようなことが起こるかというと、母体がおっぱいの成分にカルシウムを含ませようとするために、母体が本来必要としているカルシウムを体内に取り込むことができずに、歯や骨がどんどんもろくなっていくというのである。さながらプチ骨粗しょう症といった風情だ。授乳をやめればカルシウムの流失を防ぐことができ、元の状態に復旧できるというのだが、すでに激しい歯痛に悩まされているのだから今更それどころではない。まずは歯医者に行けよと。<br />　とにかく、「もうおっぱいをやり続けることには限界だ！娘のためにも一日も早い断乳が必要だ」という主張を受けて「じゃあ今すぐやろうよ」と、まるで思いつきのように断乳を決行することにしたのだ。<br />　やり方は色々あると聞いていたが、私たちは「酢塗り法」を試すことにした。娘がおっぱいを要求しだすのを見計らって、こっそりと乳首に酢を塗るのだ。左右の乳首に酢を塗る姿はいかにも滑稽だが、これはあくまで真剣勝負。娘の断乳と家内のカルシウム奪還をかけての大一番なのだ。<br />　妻は授乳をする姿勢をとる前に娘にこう言い聞かせた。「ごめんね。ママのおっぱい壊れちゃった。ママ病気なの。もうおっぱいできないからね」。このとき、娘は何を言われているのか恐らくまったく理解していなかったろう。しかし次の瞬間、それを思い知らされることになるのである。妻がおもむろに乳房をとりだすと、娘はいつものように乳首に向かってかぶりつこうとする。そして乳首に口をつけた瞬間、私は彼女が今まで一度も見せたことのない表情を初めて見ることになった。娘は驚いてすぐに口を離し、なんとも言えない表情のまま何事かを発音して、ついに泣き始めた。<br />　妻はもう一度娘に語りかける。「ごめんね。ママのおっぱい病気なの。もうおっぱいは終わりなんだよ」。娘は家内の言葉を認めまいとするかのように何度も首を横に振って泣き喚いた。家内は駄目押しするかのように、もう一方の乳房を出して、娘の口に押し付ける。娘は一瞬自分からくわえようとして、またビクッと反応し、すぐに口を離してあのえもいわれぬ不思議な表情をした。そして、悲しさを押し殺したような雰囲気で声を潜めてシクシクと涙を流したのだ。その泣き方は、いつものように何かを訴えようとして泣いているのではなく、悲しくて泣いているというのが見て取れる表現なのだ。その仕草はまっすぐに私の胸に迫ってきて、ズキンと心が痛んだ。わが娘のこんな悲しい表情を見ているのはあまりにもつらい。しかもそんな思いをさせているのは、私たち親なのだ。こんなに嫌なことはない。<br />　それ以来、ぱったりと娘が授乳を申し出ることはなくなった。たまに間違えて「おっぱい」と発言するものの、すぐにあのつらさを思い出すのか、不思議な表情を浮かべて、すぐに取り下げてしまうのだ。なんとも申し訳ない。<br />　家内のほうは、それでも急に乳が出るのが止まるわけではないので、搾乳を定期的にしなければならず、かえって面倒が増えたと結局文句ばかりいっているのだが、娘は口寂しくなったのか、思惑以上にやたら食事を取るようになった。一日おっぱいばかりでほとんどなにも食べないということもあった娘が、一日中なにかを食べずにはおられないというのだから、こちらの準備が追いつかない。しかもたらふく食ったら、むちゃくちゃ寝るのだ。この睡眠についても授乳中は長時間の深い眠りになかなか落ちていかずに、夜中に何度も目が覚めて、そのたびに授乳をしなければならなかったのだが、今では朝まで一度も起きないばかりか、昼寝もたっぷりで、食べてない時はずっと寝ているくらいのものなのだ。<br />　今まで、食べない寝ないという状態で成長が遅れていたのを取り返すかのように、やたら食べてやたら寝るので、いったい今まで私たちは何をやっていたのだろうと反省しきりだ。悩まずすぐにでも断乳していれば、妻が歯痛に悩まされることも無かったに違いない。<br />　もちろん断乳に成功したからといって、妻の歯痛はまったく良くならない。当たり前だ。だから早く歯医者に行けよと。<br /></span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>子育て</dc:subject>
<dc:date>2008-11-23T03:14:36+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-63.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-63.html</link>
<title>転職できたので</title>
<description> 　10月15日付で仕事をやめた。そしてつい先日、新しい職場が決定。11月4日から出社することになった。　前職でお世話になった先輩が、仕事をやめてから職を転々とし、辿り着いたところを紹介されたのだ。その先輩をY先輩とする。Y先輩は出身大学も同じで何かと縁が深く、前職で一緒に働いていた時期はたったの一年間だったにもかかわらず、Y先輩が会社をやめてからも長くお付き合いをさせていただいてきた。　そのY先輩が私が仕事
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　10月15日付で仕事をやめた。そしてつい先日、新しい職場が決定。11月4日から出社することになった。<br />　前職でお世話になった先輩が、仕事をやめてから職を転々とし、辿り着いたところを紹介されたのだ。その先輩をY先輩とする。Y先輩は出身大学も同じで何かと縁が深く、前職で一緒に働いていた時期はたったの一年間だったにもかかわらず、Y先輩が会社をやめてからも長くお付き合いをさせていただいてきた。<br />　そのY先輩が私が仕事やめるという話をしたときに、だったらウチにこないか、とためらわずに言ってくれた。これはたとえ社交辞令であってもとてもうれしかった。聞けば、テレビCMなどもよくやっているような大企業だという。もちろん誰でも入社できる、というわけではない。果たしてそんな話に飛びついて、Y先輩の顔に泥をぬるようなことにならないだろうか、一抹の不安は次第にもくもくと音を立てて増大していった。Y先輩は直接スカウトをできる立場でもなく、もちろんそのことでなんら評価されるわけでもなかった。出すぎたマネをしたあげく、会社に迷惑をかけたとあっては、Y先輩の評価を著しく下げることになるではないか。<br />　私の緊張がピークに達したのは、会社を訪問したときだ。まさか、と思わず声を上げそうになる好立地の超高層ビルの最上階。万全のセキュリティーをY先輩の案内でくぐりぬけ、オフィスに入るなり高級スーツに身を固め髪型や身のこなしなどどれをとっても一流の人材と思しき数十名の方々に力いっぱい挨拶をされ、通された応接室にはぐるりと表彰状がひしめいている。圧倒されきって思考停止状態の私に、やたら愛想のいい物腰柔らかなスカウト担当の方があれこれと質問をしてくる。私がお間抜けな回答をしても、バカにするでもなく笑顔で受け答えをしてくれる。そればかりか、こちらの経済状況まで考慮して、いくつもの骨を折っていただく話しの流れになり、2ヶ月はかかる就職までの段取りをたった二週間でやり遂げてくださった。その影にはY先輩の後押しもあったようだ。<br />　結果、とんとん拍子で試験や面接を終え、無事採用を勝ち取ることができた。実は、新聞報道などや世間の評判でもあまりいい噂を聞かない企業でもある。大企業であるが、それだけに心配事も少なくない。仕事内容もバリバリの営業だ。社会情勢も著しく悪い。果たしてここで私は生き残ることができるのだろうか。<br />　しかし、なんにせよ、景気低迷、転職難、派遣労働問題、下流社会、などという世間の荒波の中にあって、このようにすんなりと、転職先を得れたことはまことにありがたいことだ。Y先輩という私がもっとも大事に感じている人間関係がこのような果報をもたらすことになったことは、より私とY先輩との関係を濃密にするだけでなく、太古の昔からの宿縁を感じざるを得ない。前世においてもきっとともに乱世を生き抜いた仲であったに違いないと感じるのだ。<br />　大事な人との出会い、ってことが人生を大きく左右する。人生において、このような出会いをいくつも体験できるものではないだろう。仕事は失っても、こうした人間関係は失いたくないものだ。</span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:date>2008-11-01T02:31:54+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-62.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-62.html</link>
<title>思いつきで奈良に行く</title>
<description> 　それはよく晴れた土曜日だった。一週間前に思いつきで六甲山に登って、「あまりに無計画すぎるのもなんですな」という体験をしたばかりにもかかわらず、「なんかえらい天気が良いぞ。なのになんでうちらは家にいるんだ」という気持ちになってきた。というのも、またも思わぬ休日を手に入れたからだ。先週、無茶な遊びをした興奮がまだ心の中で密かに燃えていたらしい。　いくら暑いといっても夕方から出かけるのは遅すぎる、とい
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010760.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010760.jpg" alt="P1010760.jpg" border="0" /></a><br /><span style="font-size:large;">　それはよく晴れた土曜日だった。一週間前に思いつきで六甲山に登って、「あまりに無計画すぎるのもなんですな」という体験をしたばかりにもかかわらず、「なんかえらい天気が良いぞ。なのになんでうちらは家にいるんだ」という気持ちになってきた。というのも、またも思わぬ休日を手に入れたからだ。先週、無茶な遊びをした興奮がまだ心の中で密かに燃えていたらしい。<br />　いくら暑いといっても夕方から出かけるのは遅すぎる、というのが六甲山で得た貴重な教訓の一つだ。目が覚めた時点で、すでに午前は終わりかけている。「なんでもいいからとりあえず出かけよう」といつもの調子で号令したものの、妻は「ちょっと待て」と私をたしなめた。<br />　で、どこに行くの？である。その通りなのだ。先週も何となくでかけて、その無計画ゆえに妙な不安に駆られたり手痛い出費を被ったりした。妻にとって、私は何度も同じ失敗をする馬鹿な夫なのかもしれない。いやしかし、今日こそはそれを払拭したい。だから、ここはなんとしても妻に気に入られるような提案を出さなくてはならない。思いつきで。<br />　そういえば、妻は度々、奈良公園で鹿と戯れてみたいといっていた。ドラマ「鹿男あをによし」の影響だ。今年一月からのドラマだったので、かれこれ半年以上もそんなことを言い続けていたのである。ドラマを見ながら妻は「本当にあんなに自由に鹿と人が共生しているのだろうか。ドラマ上の演出ではないのか」という疑問を抱いたという。ゴールデンウィークに奈良に赴いたときには葛城山の一目百万本のつつじを見に行ったので、残念ながら鹿と遭遇することはなかった。ますます妻の疑問が深まってしまったのは言うまでもない。<br />　よし奈良に行こう。思い付きではあったが、以前からの希望でもあったので、妻もそれならと賛成してくれた。奈良公園といえばとりあえず奈良駅だ。そこから歩いても三十分分くらい。バスで十分くらいで観光名所に行けるだろう。<br />　奈良の町並みがふと頭に浮かぶ。駅から歩いた石畳の商店街。僅かに登りの傾斜を進んだ先で入ったファーストフード。半年以上も「もののけ姫」を上映し続けている映画館。コーヒーを頼むと煮干しがついてくるジャズの流れる喫茶店。商店街の突き当たりの池のベンチで並んで座って聞いた鐘の音。そしてそこでの秘密の思い出。<br />　私は高校３年の夏ごろから、頻繁にこの奈良駅に通っていた。実家から一時間半もかけて会いに行っていたのは、その当時付き合っていたクラブの後輩だ。そういえば、風の噂に彼女も結婚して子供を授かったと聞いた。今はどこでどのように過ごしているのだろう。<br />　私の胸に去来した奈良の情景は、もう十年以上も前から眠っていた気恥ずかしい桃色の心象風景だった。お互いに少しずつ背伸びをしあいながら、あまりに幼い恋愛感情をもてあましていた二人。焦燥感と充足感の反復横とびをへて、私はこのときに彼女から恋を教えてもらったのだ。といっても私はそれまでまっとうな恋愛経験もなく、かなりオクテだったため世間一般でいう派手な展開にはまったくならなかった。またその辺のところが彼女にとって大変不満だったらしく、実は男色なのではないかとなじられたことさえある。<br />　ただし私は断じて「いくじなし」なのではない。付き合い始めてすぐに両親に会って食事をともにし、自宅に電話するときにも必ずご家族に挨拶をし、デートにしても映画を見たり散歩したり一緒に食事をしたりするだけで門限までには必ず送り届ける、そんな「真面目」な付き合い方しか知らなかったのだ。責任ある行動とはそういうことだと思っていた。しかし、若い女性にとって「良い子ぶって素直じゃない真面目」はけっして魅力的ではない。彼女の不満に気付かぬふりを続けていた私は、なんと同じクラブの同期生に彼女を寝取られてしまった。童顔でかわいかった彼女が、妙に大人っぽく綺麗になっていくのを見るのはとても複雑な心境だった。<br />　奈良へ向かう電車に乗りながら、私はことの顛末の一切を思い出して、なんとなく沈んだ気持ちになっていた。あの「奈良」に近づいていくのは、やっぱりちょっと切ない。普通に奈良県に赴くのにはなんの抵抗もないのだが、奈良駅に行きそして奈良公園に向かうということは、私にとってあの「奈良」なのだ。<br />　快速に乗り込んで三十分ほどが過ぎた。電車は都会をあっという間に通り抜け、そのほとんどは田舎の風景の中を走っていた。妻は私の心境などこれっぽっちも気にするでもなく、惰眠を貪る娘を抱いてニコニコと車窓を眺めている。いよいよ奈良駅が近づいてきた。車内アナウンスが聞こえる。そして電車が徐々にスピードを落とし始めたときに、ようやく私は「おや？」と思った。いや思わず口に出していた。私の知っていたあの「奈良」駅は、いわば一階にあり、線路は地面を走っていたはずだ。ところが電車はいつからかずっと高架の上にいて、見知らぬビル群と肩を並べているのである。<br />　はて、ここは奈良なのか。私はせわしなく辺りを見回した。電車は更に速度を緩めて景色の変化もなだらかになる。あきらかに様子が違う。いや、もっと衝撃的だったのは駅そのものだろう。電車が駅構内に進入すると、近代的で真新しいホームが眼前に現われた。硝子でシースルーになっているエレベーターが印象的だ。ちなみに私の知っている「奈良駅」は、地面と同じ高さの線路が平面に広く連なり、終点を意味する車止めとレンガ造りのレトロな駅舎があの「奈良」らしさを象徴していたはずだ。<br />　奈良についたのか？ここは奈良なのか？と用心深く疑いながら、私は娘を妻の手からバギーに移し、駅の改札を出た。ここでもう一度ショックを受けることになる。あまりにまったく知らない町並みだったからだ。実は私の知っている方面の改札口はもう一つ別にあったのだが、まさか改札が二つあるとは思わなかったので、仰天、本当にまったく別の土地にきてしまったのかと思ったほどだった。<br />　反対側の改札口にぐるりと回ってみて、ようやく少し安心した。だいぶいろんなことが違って見えるが、なんとなく記憶と符合する雰囲気がある。旧駅舎としてあのレンガ造りの駅の玄関が残されてあった。ああ、これこれ、これだよ。と言いながら、私はバスを探した。歩いていけることはわかっていたが、記憶とだいぶ違ってしまっている街を知ったかぶりで歩く危険性と、そこを歩くことで蘇る切ないノスタルジーを拒否したかったのだ。<br />　バスは五分と待たずやってきた。運よく座ることができたので、私は車内の様子を注意深く観察した。地元住民の人々は全体の約半数ではないかと予想された。残りの半数は観光だろう。外国人もちらほらいる。私は先週の六甲山での出来事をまざまざと思い出していた。あえてみんなと違う行動をとったために失敗（？）した体験から、私たちは「見知らぬ土地もみんなと歩けば怖くない」という貴重な教訓を学んだのだ。<br />　観光で来た人たちが行くところには、それなりの目的と理由があるはずだ。私のように、なんの予備知識も目的もなく「とりあえず来てみた」人などそうそういまい。逆に言えば、このバスに乗っている人の約半数は、豊富な予備知識を元になんらかの目的意識を持ってやってきているはずなのだ。私たちとしては、彼らに従っていればまず間違いないのである。<br />　バスは公園の外周にたどり着いていた。すでにバスからもひょこひょこと歩き回る鹿の群れを確認することができる。妻の興奮はひとしおだった。あまりにも普通に歩道を歩いていたので、私も少し驚いた。鹿は公園を歩きなさい。歩道に出んな。車内の外国人たちも少し色めきたっている。私は少し警戒の色を強めて、あたりの様子を伺っていた。<br />　次か、この次か。みんなが降りるバス停はもうそろそろなのか。私は財布を手に、いつでも小銭を出せる体制で、バス亭に到着するたびに少し腰を浮かせた。まだだ。観光らしき人たちはまだぴくりともしない。この次が、本命のバス停だった。バスがバス停付近にきて、本命が大当たりであることを確信する。明らかにあたりに人が多い。人力車の人もいる。ここだ。私たちが子供を抱えてあたふたと降りる頃には、ほとんどの乗客はバスの外におり、みな一様に同じ方向に歩き出していた。さぁ、どうするか。ここで彼らの後を追わなくては、途方にくれてしまう。まったく行く当てのなかった私は、とにかく同じ方向を目指すことにした。<br />　降りてすぐの歩道を渡ったところで、人力車のお兄さんに話しかけられた。「今からどこまでいくんですか？お乗せいたしますよ」と。正直困った。だってどこに行くのか自分にもわからないんだし「すみません、歩きます」と答えて歩き出した。道に沿ってお土産屋が百メートルぐらいに渡って軒を連ねている。お土産通りには無数の鹿が鹿煎餅をもらおうとたむろしていた。とにかく鹿が近い。しかも触れる。怖がる妻を鹿のそばに立たせて記念撮影。さらに妻をいじめようと鹿煎餅を買おうかとも考えたが、それどころではなかった。この日は記録的に無茶苦茶暑い一日だったのだ。バスを降りてからまだ五分といったところだったが、もうすでに噴出す汗でシャツはぐずぐずに濡れはじめている。空は底抜けに明るい。私は「これは水分補給をまめにしなければ危ないのではないか」と思い、鹿煎餅をよそ目にとにかく進行方向に向かって歩みを進めることにした。<br />　目的地もわからぬままどんどん歩みを進めていくと、それにつれて人もどんどん増えてきた。その増え方は急で、しかも増えたのはすべて外国人であった。歩いている人すべてが外国人で、日本人は自分達だけなのではないかと本気で不安になるほど、極端に外国人が増えたのだ。そのほとんどは韓国、中国からのお客様だった。国まではわからないが英語をしゃべる白人の方々もけっこういる。あまりにのどが渇いていたので、どっと増えた人ごみを掻き分け、茶店のようなところにいってみると、そこは観光バスの巨大駐車場に併設された売店だった。外国人の群れの発生源に違いない。彼らの中でジュースを一本買うのに取り合うようにしなければならないことに大変なとまどいがあったのは言うまでもないだろう。<br />　進行方向にさらに歩みを進めると巨大な古めかしい木造の門が登場した。ここはバギーで超えることはできなかったので、ここより娘も自分で歩き始めることになった。門を抜けると木立による影もなくなり、広々とした灼熱の空間に投げ出される。いよいよこの先が目的地なのだな、ということがなんとなく察せられる。しかし、それがなんなのか、どこにむかっているのかは、私自身まだかわっていなかった。<br />　道が突然さえぎられ、門のようなところで行き止まる。門に連なるその壁は左右に果てしなく広がっていた。門には格子が嵌められていて、なぜか多くの人がその格子に張り付いて中を見ている。もしかすると、この塀の向こう側が目的地なのかもしれない。私たちは、多くの観光客がそうするように塀に沿って左に進み、そして誘い込まれるように塀の内側に進むゲートに進入していた。入ってすぐ「ここからは有料になります」という雰囲気にハッとする。やはりここが目的地だったのか。なんだかよくわからないけど、チケットを買わないと進めないらしいぞ。って、ここドコ。などとと思いながらも、ここまできて入場料をケチるのも馬鹿馬鹿しい。「なんだかよくわからないけど大人２枚」と言い訳を口にしながらチケット販売の人にお金を出そうとして、販売ブースの中の人の姿に驚いた。なぜか作務衣を着たお坊さんのコスプレのような人がいたのだ。なんか妙だなと思いつつ、購入したチケットには東大寺と書いてあった。<br />　「おい、ここ東大寺らしいぜ。みんなこの東大寺を目指してきてたらしい」私はチケットを妻に渡しながらそういった。「え、東大寺ってなんだっけ。なんかのお寺でしょう」妻の質問に私も突発性健忘症になった。「あれ、そういえば教科書にものってるよな、なんだっけ」「あれじゃない、奈良の大仏」「そうだっけ。ここなの？奈良の大仏って」「あなた、奈良はけっこう身近だったんでしょ？知らないの」「知らないよ、お寺なんて興味ないし」「わたし大仏って鎌倉の大仏しか見たことない」「あれ、鎌倉だっけ大仏」「そうよ、鎌倉だよ。でも鎌倉のは確か野外にあって、車で走ってると急にでかいのがでてくるんだよ」「へえ、屋根ないんだ。ここは完全に屋根あるよ」「ホントだ。じゃぁ、大仏じゃないのかな」</span><a href="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010761.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010761.jpg" alt="P1010761.jpg" border="0" /></a><br /><span style="font-size:large;">　今考えるととんでもなく恥ずかしい発言をよくもまぁ大声で話したものだ。観光に来てる外国人も、もしも私達の会話の内容を理解できたら、馬鹿夫婦となじられ石を投げたに違いない。日本の恥さらしである。私たちはわいわいと馬鹿な会話をしながら先ほどの塀の中を通って格子がはめられている門のところまで戻ってきた。相変わらず外からは多くの人たちが中を覗いている。この人たちは入館料を払わずに、そこで線香を上げて拝んでいるのだ。奈良の大仏を。<br />　格子の門から、また炎天下を歩く。本堂までかなりの距離だ。無茶苦茶空が明るいせいで、薄暗い本堂の中はまっくらにしか見えない。一歩、本堂に足を踏み入れてなお「まっくらだなぁ」と思っていると、突如意外な近距離に驚くべき大きさで大仏が姿を現した。これにはさすがにびびった。「おお、本当に大仏だった」ここにきても馬鹿な発言を口走りながら、妻の手を取り、大仏の異様なでかさとそのあまりの近さに呆然と立ち尽くした。なんて迫力だろう。そしてなんたる作りこみの精巧さだ。また本堂そのものの建物も素晴らしかった。木造で世界でも最大級という建物である。あまりの迫力にあっけにとられてしまった。「さすがにこれはすごい。一生に一度は見るべきだ」などと、観光にきた外国人のようなことを言いながら中をぐるりと一周。建物のすごさがさらによくわかる。そして大仏の裏側の迫力も、これはこれですごいものがある。<br />　結局のところ、さまざま展示物を見た感想は「凄い」と「怖い」だった。私は別にお寺を批判するつもりはまったくないのだが、やはり当時の仏教は政治的な思惑で布教され、その荘厳なる雰囲気と圧倒的な迫力で民をびびらせることに主眼があったのではないかと感じる。宗教にまとわりつく見えないなにかに感じる畏怖もあるが、こうしてあからさまに見せ付けられる怖さもなかなかのものである。こんな怖いものには逆らいたくない。<br />　「やはり、みなが来るところにはそれなりの理由があるのだな」と感慨を深くしながら、若かりし頃の私にはこの感動はわからなかったに違いないと思っていた。もしも当時の彼女とここに来ていたとしたら、その無感動の記憶を頼りに「奈良には大仏があるぜ、見に行こうか」などと発言して「お寺、興味ない」と妻に反対されても「たしかに見ても面白いものではないよ」と返事したことだろう。わざわざ大仏を見に奈良までこない。私たちはそういう夫婦だ。しかし、何の予備知識もなく、ただ観光客についてきたことで出会えた東大寺はとても素晴らしかった。別に信心を呼び覚まされたりはしなかったが、文化や歴史に触れるということは、なにか人生観を変えてしまうような強烈な体験だと思った。</span><a href="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010766.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010766.jpg" alt="P1010766.jpg" border="0" /></a><br /><span style="font-size:large;">　塀にもどり、反対側の出口へ塀の中を進む。外国人向けだろうと思わずにおれない奇抜なお土産を尻目に、私たちは帰路につく。夕方が近づいているはずだが、夏の日は高く、まだまだ暑さは緩みをみせない。東大寺へ向けて歩き出す外国人の人の波に逆らいながら、お土産街道まで来た道をもどってきた。だが、バス停の近くまで来た頃には、奈良の大仏に出会った感動や興奮はすっかり醒めて、あまりの暑さにへとへとになり、すっかり眠くなってしまった。鹿も見慣れると、どうでもよくなってくる。結局私たちは鹿煎餅を買わず、鹿とたいして触れ合うこともなくバスに乗り込み、電車に乗り継ぎ、そのほとんどの工程を寝てすごした。気付けば奈良を後にしていた、という感じで、なんだか夢のような数時間だった。<br />　思い返せば、あの「奈良」なんてものは、もうなかったのだ。今あるのは、今の幸せな家族で過ごした奈良でしかない。つまりは「大仏の奈良」であり、「一目百万本のつつじの奈良」だ。<br />　しかし、「奈良の大仏を見に東大寺まで行く」計画なんて絶対に立てなかっただろう私たちだが、行ってみると「奈良の大仏を見に東大寺まで行く」以外のことは何もしなかったのだから以外だ。まるで導かれるようにたどり着いたのだから、まったくもって不思議な体験といわざるを得ない。これを機に神社仏閣巡りでもしてみようかしら。</span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:date>2008-09-04T11:59:41+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-61.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-61.html</link>
<title>思いつきで六甲山</title>
<description> 　久しぶりの更新となってしまった。このブログは長期間放置されることが頻繁にあるのだが、意外とこの夏は記事に書ける出来事が多く、書きたい内容が溜まってしまった。そろそろ更新しなきゃと思いながらも、書くことがないというパターンもあるので、それから考えると最近は充実しているのかもしれない。　普段、週末はいつも忙しくて家族をどこにつれていくこともできないのだが、あるとき急にポカンと休みがとれて、何の予定も
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <a href="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010748.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010748.jpg" alt="P1010748.jpg" border="0" /></a><br /><span style="font-size:large;">　久しぶりの更新となってしまった。このブログは長期間放置されることが頻繁にあるのだが、意外とこの夏は記事に書ける出来事が多く、書きたい内容が溜まってしまった。そろそろ更新しなきゃと思いながらも、書くことがないというパターンもあるので、それから考えると最近は充実しているのかもしれない。<br />　普段、週末はいつも忙しくて家族をどこにつれていくこともできないのだが、あるとき急にポカンと休みがとれて、何の予定もたてることなく暇な日曜日を迎えた。昼過ぎまでウダウダと布団の上を右にころがり左にころがりしていたのだが、いつもは忙しいので暇さえあればゴロゴロしてたいと思うところ、逆に1日することがないと思うとじっとしているのはどうにも勿体無い気がしてしかたない。とはいえ、外は初夏とは思えないほどのギラギラした炎天下だ。出かけるには暑すぎる。<br />　そこで、少し涼しくなる夕方になるまで涼みながら夏らしいことをしようと思い、バルコニーに子供用の小さなプールを出して娘をプールに入れることにした。娘にとっては人生初プール。無論、水着なんて用意してない。だって思いつきだから。<br />　バルコニーに適当に水をまいて、ある程度綺麗にする。何となく買ってしまっていた小型プールをおもちゃ箱の底から取り出して膨らませる。あまり大きくないのに、結構骨の折れる作業だ。私はすでに汗だくとなっていた。そして苦労して水を張ってはみたが、肝心の娘がプールを怖がって近づこうともしない。業を煮やした私は、アソパソマソの形をしたスポンジを使って娘を水浸しにして、嫌がる娘を抱え上げ無理やりプールに入れようとした。だが、娘は巧みに足を縮ませて着水するのを避け、離そうとする私の手をしっかりと掴んで不平不満を述べる。この時点で私のシャツは滝のように流れ出る汗で濡れそぼっている。<br />　結局、娘はプールの中に入ることを固辞し、あくまでプールの外から水をパシャパシャとかき混ぜるだけという妙な遊びになってしまった。</span><br /><a href="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010737.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010737.jpg" alt="P1010737.jpg" border="0" /></a><br /><span style="font-size:large;">　こんなことなら汗だくだくの私の方がプールに入りたい。それでも、その妙な遊びを娘なりに気に入っていたらしく、じゃあそろそろ引き上げようというときには、もう少し遊びたい旨を訴えてきた。本当によくわからない。しかし、ここは大人の威厳で無理やりプールから引き離し、タオルを広げて待ち構えている妻にまで送り届けた。<br />　私はシャワーで汗を流し、「まぁとにかく家を出てみよう」と考えた。せっかくの休みだ。家族と過ごす時間は限られている。どうせなら普段できないことをしたい。しかし、あまりに準備不足である。今日の今日まで休みの過ごし方なんて、なんにも考えてなかったのだから。<br />　暴れ疲れてうとうとし始めた娘を見ていて、ふとまた山に行きたいなぁと思いついた。「また」というのは、ゴールデンウィークに奈良の葛城山にロープウェーで登り、燃え盛るような紅いツツジの群生を見に行ったことを指している。あの体験はこの歳にして大変新鮮だった。「山は良い。また登りたい」と夫婦で話し合ったこともまだ記憶に新しかった。<br />　しかし、ゴールデンウィークの時もかなり行き当たりばったりであったが、今度はそれよりも酷い無計画ぶりだ。すでに時刻も午後四時が迫っていた。すでに半日は終わっている。<br />　近場で手頃な山といえば。最初に思い浮かんだのが六甲山だった。というのも、ほんの1週間前に仕事で神戸大学におじゃましたときに、大学構内から見える絶景にしびれるものを感じたからだ。葛城山から見えた景色は、広大な眺望のほぼすべてが空と山と木々であったが、そこで見た景色は海と街だった。あのあたり一体は、山と街と海がとても近いところにある。山の急な斜面を降りると大都会が広がっており、そしてすぐ海がくるのだ。<br />　次に登るなら六甲山。その時、思ってから実はあまり日がたってない。「じゃあ六甲山にでも行ってみるか」と出し抜けに言い出してみたところ、妻も別に不満はなさそうだ。ここはまたしても私の思いつきとわがままでとにかく行ってみることにした。<br />　四時に出発したのだが、この日はまだまだ暑い四時で、日差しがあたるとじわじわ汗が出てくる。娘はプールに入ったのが応えたのか、バギーの中ですやすやと寝ている。電車を乗り継いでＪＲの六甲道駅に着いたのが五時過ぎだった。駅前のバス停から三十分ほどで「六甲ケーブル」というなかなかおしゃれなケーブルカーまでたどり着き、六時二十分出発の便で山上へ。およそ十分間の運転だったが、とても長く感じる車上だ。というのもかなりの急斜面を予想以上に高く上がっていくので、どこまで登るんだろうと少し不安に思ったからだ。<br />　最初は森の中を進む感じであたりは木々しか見えず、虫の声が騒々しい。都会ではあまり聞こえてこない夜の虫の声も混じっていて、夕方を感じさせる涼しい風が車内を吹き抜けていた。どんどんケーブルカーは斜面を登っていくとパッと街が見えて、それもどんどん遠ざかっていく。海が青い。空は底抜けに明るくて、雲ひとつなかった。家やビルや学校や、色々な建物がどんどん縮んでもう形がわからなくなって街としか見えなくなってくると、ぐんと体感温度が下がって、山の中独特の不安な暗さに包まれる。トンネルを抜けると一時停車して下りとの行き違いがあり、また単線に戻る。ここまでで、かなり高いところまで来たなぁと思ったが、そこからさらにもっとあがっていくのだ。神戸大学の構内からみた高さなんてまるで比にならない高さで、山上駅に到着したときには軽い眩暈を覚えたくらいだ。娘も環境の変化に驚いたのかついに目を覚ましてバギーの上からあたりを眺め回してなんだかの感想を述べていたようだった。<br />　私たちはケーブルカーを降り、何の予備知識ももたずにここに来てしまったことをいまさらながら思い知らされていた。ここまでなんとなく来ては見たが、ではこれからどうするのか。「みなが歩くほうについていく」という手段がある。同じ便に乗っていた人たちをみると何の迷いもなく駅前に着いているバスに乗り込んでいく。六甲山上を巡回するバスだ。これに乗っておいてみんながまとめておりそうなところで一緒に降りて、一緒に行動しておけば、まず失敗はないんじゃないだろうか。私は家内にそう提案してみた。が、以外にも彼女はそれをつっぱねた。代案は、適当に歩いてみようという、私の行き当たりばったりを上回る意見であった。いや、しかし、それは、その、とやっているうちに、バスは我々を残してとっとと出発してしまった。これはもうしかたがない。<br />　妻の申し出はつまり、バスを適当に乗るのはお金の面でリスクがあるのではないかという不安から来るものであった。ここまできておいてバス代をケチったのである。まさかの理由に驚いたが、お金をできる限り使わずに楽しめれば、なおよいではないかということだったのだ。それを否定するほどの経済力のない私は、これも甲斐性のなさの現われだとあきらめた。しかし、このことがまったく逆の結果を生むことになろうとは、二人ともまったく想像もしていなかったのである。<br />　どうしたものか考えあぐねていた私は展望台が駅の横についているのを発見して、「とりあえずここを登っておこう」ということにした。バギーを担いで長い階段を登るのは大変だったが、登りきったあとの景色はさすがのものだった。「ああ、あれが梅田だね。でそっちが関西国際空港。もしかするとあれが淡路島じゃない」などとやっていると、これはなかなか楽しい。<a href="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010751.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010751.jpg" alt="P1010751.jpg" border="0" /></a><br /><span style="font-size:large;">　しかし、いつまでもこれを楽しんでいる場合ではない。もう七時が近いのだ。腹が減るではないか。私たちは昼までゴロゴロしていて、昼食に朝のために用意していたパンを食べて、あとは水分しか口にしていなかった。実はもうこの時点でお腹ぺこぺこ状態だったのだ。<br />　私は駅で拾ってきた六甲山の簡単な地図を適当に見て、この近くにホテルがあってそこで食事ができるらしい、ということを読み取った。もはや食べることしか考えられない。家内も適当に「ああこれなら歩いていけるんじゃない」と無責任なことを言い、「それならとにかく歩いてみよう」とバギーを押しながら歩き出した。<br />　歩き出した瞬間はまだ明るかったのだが、どんどん歩き進めるうちに夜気が徐々に迫っているのが山から感じられる。六甲山といえば心霊体験で有名な場所でもあることをふと思い出して、これは急いでホテルにたどり着かないと大変なことになる、となんとなく思った。そういえばあたりに街灯らしきものが何もない。歩くのにも困難な草の生い茂る歩道をバギーを押しながら進んでいると、だんだん不安な気持ちになってきた。<br />　もし日没までにホテルにつかなかったらどうしよう。よしんばたどり着いたとしても、ホテル近くからケーブルカーの駅までのバスが出ているかどうかもわからない。そういえば私たち以外に歩行者などいないではないか。考えまいとしても、たどり着けないかも、帰れないかも、という不安はぬぐってもぬぐいきれなかった。しかもだんだん日が暮れて視界が悪くなり、しかもあの呆れるくらい晴れていた天気が暗い雲でにごり始めていたのだ。<br />　極め付きは歩道が突如なくなってしまったことだった。暗くなってきたこともあって、車に轢かれるリスクまで跳ね上がってしまった。どうしよう、と思うが家族の手前、不安を口にだすわけにもいくまい。ましてや引き返すなどできるはずもなかった。私は「これって日が暮れるまでにホテルにつけるのかな」と、できるかぎり明るい声でいった。妻は相変わらず能天気なもので「平気じゃない、たぶん」などとのたまっている。そこへ私達の反対方向からケーブルカーの駅へ向かうバスがけたたましく通り過ぎていった。「まさかあれが最後の便じゃないよね」思わず不安を口に出してしまう。<br />　あたりは一層夜気を孕んで薄暗さを増してきた。雲は奇妙なほどの速さで流れていて、遠く西の空は妖しく刻々と様相を変化させている。「これはまぁ間違いなく降るだろうな」と直感的に、しかもはっきりとそう感じる。急がねば。時計はすでに七時半になろうとしていた。<br />　道路沿いに小さな古ぼけた看板を見つけたのは妻だった。確かに目的地の名が書いてある。が、それにしてもあまりにそれらしくない。色が落ち、朽ち果て、木や草にその大半が隠されている。こりゃもしかするとホテル自体も廃屋なんじゃないかと思わせる代物だ。しかもこの看板が示す方向は道路に面した山の斜面に向けられており、そこには確かに道らしきものがあるのだが、少なくとも２、３年は人が通った様子もない荒れ果てた獣道だったのだ。<br />　誰がこんなところ通るというのだ。ここまででさんざん不安な気持ちにさせられていた私は、目的地が目前に迫っているというのに、より一層の不安を掻き立てられて、もう心が折れてしまいそうだった。それでも家内は果敢にも娘をバギーから抱え上げ、草の生い茂る道なき道にアッタクを始めていた。私もしかたなくいやいや後に続く。お腹ペコペコの上に山登りでもうへとへとだった私は、ここでほぼすべての力を使い果たし、獣道を登りきって立派なホテルの駐車場のへりにたどり着いたときには、へたり込んでしまいたくなった。なんのことはない、素晴らしいたたずまいの気品あるホテルだった。<br />　私たちは、宿泊客でもないのに勝手に食堂に上がりこみ、食事をさせてもらえないかと交渉した。何が何でも食べないわけにはいかない。鬼気迫る勢いに若干とまどいを見せたものの、食堂のスタッフはさすが丁寧に中へ案内してくれた。六甲の絶景が望める前面ガラス張りの窓際。特等席だった。</span><a href="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010754.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-40.fc2.com/g/o/n/gonnzouyosimura/P1010754.jpg" alt="P1010754.jpg" border="0" /></a><br /><span style="font-size:large;">　食事はバイキングだ。「ホテルでバイキング」なんとも心ときめくシチュエーションではないか。私と妻は交代で娘の面倒を見ながらほぼ全品目に箸をつけ、約一時間かけてすっかりバイキングを堪能した。それはたんに腹が減っていたからではなく、その料理がとてもおいしかったからだ。何を食べても、本当にはずれがないので、すべてを食べずにはおれないのである。それほどに、一品一品が高級料理店の風格を感じさせる美味だった。<br />　そうなると、ここまでの苦労や不安もなんとなく楽しかったことのような気がしてくるから不思議だ。ここでしか味わえない素晴らしい景色を眺めながら、ここでしか味わえない美食を堪能する。たった一杯のビールが全身に染み渡るようで、気分は幸せそのものだった。<br />　では、そろそろ帰りましょうという時になって、そういえばこのバイキングっていったいいくらなんだと、ふとわれに返った。あたりを見渡せば浴衣姿が大半を占めている。もちろん我々以外の客はみな宿泊客だ。しかも贅を尽くした絶品バイキングである。普通のファミリー向けバイキング店ならせいぜい３０００円までだろうかしら、と計算する。私の財布には一万円ぐらいしか入っていない。万が一、それを超えるようなら。いや、しかし、さすがにそんな無茶な値段は取るまい。たかが夕食じゃないか。秘蔵のクレジットカードを使うほどのことでもないだろう。<br />　私達を食堂の中へ通してくれたスタッフは、私が差し出した伝票をうやうやしく押しもどし、どうぞこのままフロントへと言う。緊張感は高まっていった。恐る恐るフロントに伝票を差し出すとフロント係は爽やかな笑顔を見せた後、なにやら妖しげな計算を始める。この計算も意外と長く感じた。宿泊客でもないものが、勝手にバイキングを楽しんだのだ。特別な計算があるのかもしれない。フロント係はおもむろに顔をあげキッパリと言った。「お食事代お二人様で１万２千円です」。私は間髪入れずに切り返した「カードで」。<br />　バス停はホテルのすぐそばにあった。何もあんな獣道を通らずとも道路沿いを道なりに行けばホテルの正面玄関にたどり着く構造になっていたのだ。すっかり外は暗く、そしてやはり雨が降ってきた。街灯のない道だったが、バス停にも明かりはなかった。見えるのはホテルからの明かりだけ。バスは定時になってもこなかった。<br />　薄暗い夜、雨の六甲山。待てども来ないバス。静まり返った寂しい山道。まるで怪談の舞台設定のようじゃないか。と思っていると、どうも中国人の若いカップルらしき二人組みがバスが来る方向からサクサクとあるいてきた。何事か揉め事をしているのか、それとも中国語がそのように聞こえるだけなのか、とにかく何事かを騒々しく言い合いながら、彼らは駅の方に向かって歩いていった。私と妻はそれをあっけに取られて呆然と見送ったのだが、でもまてよと思った。この先は街灯もなく歩道もない、ほとんどなにも見えない山道で、駅に向かうと三十分近くもかかる道のりだ。彼らは、なぜこのような道を歩いているのだろう。いや、まさか。だがしかし、あの騒々しさといったら怪談などとはかけ離れすぎている。あんなにうるさい幽霊はらしくない。きっと私達のように微妙にバス代をケチることを選択したカップルなのだろう。<br />　面白い人がいるものだと夫婦で笑っていると五分遅れでバスがやってきた。不思議なことに、なぜかそのバスには登りのケーブルカーで一緒だった人たちがみんな乗っていた。彼らは一体どんなコースをたどって今このバスに乗り込んでいるんだろうと思うと、なんだか笑えてきた。まったく想像も付かなかったからだ。まさか私達のような時間の過ごし方なんて、彼らにも想像がつかないんじゃないだろうか。<br />　下りのケーブルカーは、あいにくの悪天候で夜景を楽しむというようなものではなかった。山上駅よりも低いところに、雨雲のような黒い雲が無数にただよっていたのである。私たちは雨雲を突き抜け、天空から徐々に、きらめく宝箱のような夜景の一部に吸い込まれていった。<br />「それにしても」私は言った。「思いつきでこんなところまで来てしまった上に、とんだ出費をしてしまったね」。さすがの家内も反省の色を表情ににじませた。「今回は作戦ミスだね。最初からバスに乗るべきだったわ」。私はそれでもどこか満たされた感じがあったので、「でもいい贅沢だったんじゃないかな。これはこれで楽しかった」というと、妻も「本当に面白かったね。これはこれで」と言い、「でも今度からはもうちょっと計画的に行こうね」と付け足した。<br />　家に着いたのは十時を過ぎた頃だった。</span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:date>2008-08-25T15:58:12+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-59.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-59.html</link>
<title>実録「ほされリーマンの独白」</title>
<description> 　職場でほされているらしい。ということを改めて実感させられた。　どうやら、上司は本気で私をやめさせたがっているようだ。重要な会議の席で、社長にことさら私への不信を強調されてしまった。いつからか若い子たちにどんどん仕事を奪われて、今ではほとんどやることがない。仕事がないので、どのような結果も残しようがなく、会社の評価は下がる一方だ。いよいよ追い出される寸前。秒読みは始まっているのかもしれない。　最悪
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　職場でほされているらしい。ということを改めて実感させられた。<br />　どうやら、上司は本気で私をやめさせたがっているようだ。重要な会議の席で、社長にことさら私への不信を強調されてしまった。いつからか若い子たちにどんどん仕事を奪われて、今ではほとんどやることがない。仕事がないので、どのような結果も残しようがなく、会社の評価は下がる一方だ。いよいよ追い出される寸前。秒読みは始まっているのかもしれない。<br />　最悪なのは同じ課内の人間に味方がいないことだ。どういうわけか、その上司を除いてあとはみな後輩なのだが、私は彼らからやたら不評を買っているらしい。けっして悪口がもれ聞こえることはないが、一部の女子社員の態度はあまりにあからさまなので、いくら私が鈍感でも気まずさを感じないわけにはいかない。彼女達は相当シビアな視線で常に私を監視しているらしく、上司に逐一苦情として報告がなされていると上司から聞いた。悪意を持った視線を通せば、どのような言動でも醜悪にゆがめられてしまうのは常。仕事がないので会社にいるしかないのだが、そんなわけでデスクはさながら針のむしろなのだ。<br />　「職場には、いて欲しい人間と、いてもいなくてもいい人間、そしていて欲しくない人間の３タイプがある。お前はまさにいて欲しくない人間だ」とは、先日上司からいただいたありがたいお言葉だ。私はこの言葉を胸に、今新たな天地へと旅立とうとしている。キャリアにおいても金銭的にも何の蓄えもない私が、裸同然であまりに厳しい灼熱の格差社会に放り出されれば、瞬く間に下流に押し流され、貧困スパイラルのど真ん中で搾取の対象となるのは間違いない。そのことを重々承知した上で、さぁやめれるもんならやめてみろ、と言いたいのだ、あいつは。私が自ら、やめます、というのを今か今かと半笑いで待っている。<br />　もしかしたら、ここでやめたら負けなのかもしれない。でも、もうこれ以上は耐えられない。私には家族がある。守るべきものがあって、戦っている。それでも限界はあるんだ。<br />　生き残り競争に私は負けたのだ。負け組みなのだ。と認めなくてはいけない。本当のところ、上司からの不信も、後輩達からの不評も、すべては身から出たさびだ。なるべくしてそうなっていったので、文句の言いようがない。さまざまな醜い陰口を、はたまた魂をえぐるような冷ややかな言葉を直接言われるような、それだけのことはやってきたのだろう、私は。さもなくばこのような立場になるはずがない。どんな理不尽さの背景にも、理解できるかできないかに関わらず、なにかしらちゃんと原因があるというのが私の考え方だ。このような結果にも、れっきとした原因があるのだと思う。そんな私が、猛毒のような「原因」を抱えたまま、冷酷な社会で「勝利」を納められるはずがない。<br />　しかし、もとはと言えば、その原因の根底にあるのはなんだっただろうか。私の人間性についてをその対象にして槍玉に挙げるのは、生来のものに由来している部分が多く、根本的な問題であるし、ひいては単なる悪口にすぎないので考えないでおこう。いやその人間性の問題点を社内において、ことさら悪い面を強調し悪化させる原因があったはずだ。<br />　私には不満があった。そのあまりに強い不満は、会社に対するものがほとんどだった。そして上司に対する根深い不信があった。公平性を欠き、日ごとに態度を変え豹変する社長が嫌いだった。自らの保身を最優先し社長におもねるだけで、兵隊としての能力もリーダーとしての器もない上司に怒りを覚えた。強欲で厚かましいだけが取り柄の営業部員達のわがままに巻き込まれたり、社外の人に同類と見られたりすることが我慢ならなかった。なによりも、嘘で塗り固めたありものしない幻想を売るような事業そのものに吐き気がした。そしてそんな将来性のない社業に愛想が尽きていた。<br />　こうした私の心に渦巻いていた不満が、ことあるごとに表に顔を出し、さまざまな形で周りの人間に影響を与えていたのだろう。不満だらけの人間には感謝などあるはずもない。だから、みなに与えた影響が良い影響であるはずがない。私が会社にいられなくなったのは、そういうメカニズムだと思う。<br />　ただ、少なくとも私が勤めている間、毎年毎年何人もの人間がやめていき、毎年毎年入ってくる人がいるような会社だ。ついに私の番が来たというだけのことなのかもしれない。人が定着しない会社なのだ。私より入社がはやい上司以外の先輩はみんやめていった。だから、上司以外はみな後輩なのだ。見方を変えれば、上司はこれまでそうやって、一人一人順番に会社から追い出してきたのだとも言える。そしてついに私の番が来たというだけのことに違いない。<br />　ろくでもない会社なのだ。ろくでもない社長と、ろくでもない上司に牛耳られた、ろくでもない職場なのだ。そう思えば、ようやくこのろくでもない現場から抜け出せるときがきたのだから、これは喜ばしいことのなのかも知れない。上司は感動的な解放へのチャンスを私に授けてくださったのだ。どれほど感謝しても事足りないじゃないか。<br />　そうだ、こう考えるんだ。私は、不満だらけで仕事も嫌々やらされていたのに、それでもなかなかやめれなくてだらだら続けてしまって、会社にとっても自分にとっても不幸な状態にいた。社内での立場が悪くなったのは当然のことで、なにも悪いことじゃないんだ。ＯＢとなった先輩がたもみな歩んできた通過点じゃないか。いよいよ次のステップに進む権利を獲得したのだ。私は成長している。幸福へ向かって進歩している。<br />　ああ、私は針のむしろに座しながら、幸福の絶頂にいるのだ。煮えたぎるような灼熱の格差社会に、すがすがしく夢と希望を持って乗り込むのだ。<br /><br />　なんたる発想の転換。ちょ、おま･･･マジ頭良いな。</span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>小説　ショート･ショート</dc:subject>
<dc:date>2008-07-03T12:17:47+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-57.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-57.html</link>
<title>すばらしきこのせかい</title>
<description> すばらしきこのせかい(2007/07/27)Nintendo DS商品詳細を見る　ひさびさに、これこそは！と言えるゲームと出会った。これまでに遊んだことのあるアクションＲＰＧの中でダントツの面白さだ。スクエニから新作新ジャンルの発表は今となっては珍しい現象となってしまったが、移植やリメイクやスピンオフではない、またはこれまでに登場したことのあるどのゲームの真似でもない、まったく新しいゲームが登場したことは、ゲーム好きに
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <table style="width:75%;border:0;" border="0"><tr><td style="border:none;" valign="top" align="center"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000IZEDCS/gonnzouyosimu-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/61zbTPnwj2L._SL160_.jpg" alt="すばらしきこのせかい" style="border:none;" /></a></td><td style="padding:0 0.4em;border:0;" valign="top"><a href="http://blog.fc2.com/goods/B000IZEDCS/gonnzouyosimu-22" target="_blank">すばらしきこのせかい</a><br />(2007/07/27)<br />Nintendo DS<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000IZEDCS/gonnzouyosimu-22/ref=nosim/" target="_blank">商品詳細を見る</a></td></tr></table><span style="font-size:large;">　ひさびさに、これこそは！と言えるゲームと出会った。これまでに遊んだことのあるアクションＲＰＧの中でダントツの面白さだ。スクエニから新作新ジャンルの発表は今となっては珍しい現象となってしまったが、移植やリメイクやスピンオフではない、またはこれまでに登場したことのあるどのゲームの真似でもない、まったく新しいゲームが登場したことは、ゲーム好きにとってとても喜ばしいことだ。<br />　リメイクよりも新作、続編よりも新作が登場した方が業界は絶対に盛り上がる。失敗を恐れず、また失敗してもまったく怯まない程度の実力はスクエニには当然備わっているはずだ。クリエイターを育て伸ばす意味でも、新しいゲームを次々と出して欲しいと思う。年老いたロッキーや熟年のインディージョーンズが悪いとは思わないが、ゲームの場合やっぱりまったく新しいものと触れる緊張感がある方が、刺激的だ。<br />　その意味でも、「すばらしきこのせかい」はかなり刺激的だった。その最たるものが、今までに体験したことのない2画面同時バトルだ。誰も経験したことがないのだから最初は上手く操作できなくてあたりまえ。しかもその操作方法はゲームを進めると、どんどん複雑化して戦略性が高まっていく。誰もが初心者なのだから、もうこれは慣れるしかないのだ。新しいテクニックが追加されるたびに、何度もバトルを繰り返してある程度の熟練度を獲得していかなければ、ゲームに置いていかれる。<br />　はっきりいってバトルは楽じゃない。しかし、だからこそ面白い。うまくなれば、どんどん極められる要素があり、難易度を高くし、自分のレベルを下げていけば、さらに使用武器や防具にも制限をかければ、果てのないレベルアップに挑戦できるのだ。この難易度と自分の実力を計るバランスが実に面白い。少し設定を厳しくすればとたんにぎりぎりの戦いを強いられるし、設定を和らげれば強敵にも付け入る隙が充分にある。調子に乗ってちょっと判断を見誤れば地獄絵図のような連続バトルに突入してしまう危険性をいつも抱え込んでもいるのだ。<br />　アーケードで格闘ゲームにはまってぇ、当然のように家庭用に移植されたものを買ってぇ、最初は得意キャラばかりを使ってノーマルな難易度で何度かクリアしてみてぇ、そっから難易度を徐々に上げていきながらほとんどのキャラをマスターしぃ、しまいには最高難易度をノーミスでクリアできるようになるまでやりこんだことがあるゲーマーは、どこのどいつだ～い。わたしだよ！<br />　まぁその、にしおかすみこなんかはどうでもいいのだが、そんな感じの経験を持つゲーマーなら、この2画面バトルの魅力にのめりこまないわけがないと私は断言する。わかりやすくて比較的簡単な操作な割りにテクニックを求めてくる、この絶妙なバランス。しかもこちらが腕を上げれば、ちゃんとその腕に見合った世界を用意していてくれる。とかくアクションとしての懐が深いのである。<br />　しかし、アクションだけが「すばらしきせかい」ではない。このゲーム独特の世界観がＲＰＧとしてちゃんとあって、それがしっかりと細部にまで行き届いているのだ。そこには血の通った人間がいて、社会性と秩序が成り立っている。架空の「シブヤ」という場所を舞台にストーリーが展開するわけだが、若者達の葛藤と成長が練りこまれていて、戦いの動機も後半に向けて強固なものへと高まっていく。登場する悪者にも人間味があって共感するし、それぞれ葛藤を抱えて戦いを挑んでくる。どこか悪者もカッコいいのだ。敵対はしていてもお互いを分かり合っている、ルパンと銭形のように、ライバルの魅力が要所要所で光っている。そしてストーリーは、序盤から秘密にされている謎を追いかけるミステリになっており、最後には驚愕の真相も待っているという高品質ぶり。謎解きについては比較的易しいが、その分やりこみ要素には高いハードルをいくつも備えており、先に進もうと思えば詰まることはあまりないが、ちょっと立ち止まってしまえばいつまでもやり込んでしまう。難易度についてもそうだが、プレーヤー次第でゲームが姿形を変えて、柔軟に遊び方を広げてくれるのだ。しかもその振り幅は、序盤よりも中盤、中盤よりも終盤と大きくなっていき、クリア後にはさらに広大なゲーム世界が待っている。遊びつくそうにも遊びつくせないほどなのだ。<br />　しかし、いくらプレーヤーに合わせて柔軟に、とは言え、あくまでもゲームの核はアクションであり、アクションをやりこなせなければ、いかに世界観に酔い、ストーリーに惚れていても、ゲームは前に進まない。言い過ぎかもしれないが、プレーヤーがゲーマーであることが遊びつくすことの条件であるわけだから、現代においては人を選ぶ門戸の狭いゲームと言わざるをえない。こんなに新しいことに沢山挑戦している、面白いゲームなのに。だけど、もしかして、万が一このゲームを通して非ゲーマーが、ゲーマーへの道を歩むキッカケとなるなら、それはとても良いことのように思う。メーカーは、もうゲーマーを見捨ててしまったのでは、と感じていたのだが、このゲームに出会ったことで、いや、ゲーマーはまだまだゲーマーでいていいんだと、ライトユーザーがゲーマーに成長してもいいんだと、そう思ったのだ。<br />　もう一点、このゲームの素晴らしさを伝えるなら、ＢＧＭについて書かないわけにはいかない。というより、最も優れている点にこのＢＧＭをあげる人が多いのだ。とにかくカッコよさにこだわり抜いたゲームだけに、ＢＧＭのカッコよさは普通のゲームの域をはるかに凌駕している。いわゆる昭和ファミコン創世期の電子音による芸術的なカッコよさではない。そのほとんどが、これがゲーム音楽なのか？と耳を疑うほどの、完成された「歌謡曲」なのだ。バトルミュージックだけでも、歌入りの曲が多数はいっていて、しかも飽きさせないレベルの完成度とバリエーションがあり、世界観を損なわず、またバトルらしさを失わず、それでいてキャッチーでポップ。ゲームをしていない時にも、なんとなく鼻歌で歌ってしまうような、そんな親しみがあるのだ。サウンドトラックも買ってしまったが、これがゲームのサントラかよっ、とベタなツッコミを入れてしまいたくなるほど、できがよろしい。ドライブにも最適。<br />　ここまで私がしきりに宣伝しているのは、こんなにも良いゲームなのに、なぜかあまり売れてないらしいからだ。ある意味、必死なのだ。「面白いよね。だよね」と感動を共有するとともに、感覚を確認しておきたいのだ。やはり今のゲーム市場には合わないということで、このゲームが干されてしまうのなら、もう私が心底面白いと思うゲームは流行らないということだし、こういう新しいことに挑戦しているゲームが開発される頻度はさらに減っていくのだろう。それはとても残念だし、そんなことはないだろうと思いたい。ま、続編の開発が始まるなら、世間的にも一定の評価を得ているはずなのでひとまず安心だが。<br />　過去にゲーマーだったことのある人にはもちろん、そのほかの人にも、久しぶりに骨太でやり込みがいのあるゲームとして是非ともプレーをお薦めしておきたい。<br /></span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>ゲーム</dc:subject>
<dc:date>2008-06-05T12:46:13+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-56.html">
<link>http://gonnzouyosimura.blog64.fc2.com/blog-entry-56.html</link>
<title>子供が立って、親は泣く</title>
<description> 　つい先日、ようやく娘が一人で立ち上がった。これを目撃したときの衝撃といったら、とても言葉では言い表せないものがある。　うちの娘は父親に似て、何をするのもちょっと人よりのんびりしているらしく、1歳4ヶ月になってもちっとも歩く気配もなく、それどころかつかまり立ちでさえ、ふらふらとおぼつかない始末。聞けば私自身も、歩き始めたのが1歳4ヶ月だったというから血は争えない。　別に誰と比べてどうというわけでもない
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ <span style="font-size:large;">　つい先日、ようやく娘が一人で立ち上がった。これを目撃したときの衝撃といったら、とても言葉では言い表せないものがある。<br />　うちの娘は父親に似て、何をするのもちょっと人よりのんびりしているらしく、1歳4ヶ月になってもちっとも歩く気配もなく、それどころかつかまり立ちでさえ、ふらふらとおぼつかない始末。聞けば私自身も、歩き始めたのが1歳4ヶ月だったというから血は争えない。<br />　別に誰と比べてどうというわけでもないはずなのだが、それでも親というのは「この子は他の子より遅いんじゃないか」とか考えてしまうもので、私などは「もしかしたら立つ力が備わってないのだろうか」と不安になったりして、無理やり両手を取って歩かせようとするのだけど、その気がまったくない娘はすぐに私の足にすがりついてしゃがみこんでしまうのである。<br />　まるで私が幼かった頃のように、いつもどこかに寄りかかって自分の体をよそに預けてしまう癖を、どうして彼女が生まれつき持っているのかはまったくの謎だが、自分で自分を支える気がない以上、一人で立つなんてありえるはずもない。つまりは、立つ、あるいは歩く能力があったとしても、歩く気がまったくないのだ。早ければ10ヶ月を待たずに歩き始め、1歳には走り回る子までいるのに。そんな同学年の子達と一緒に遊ぼうにも、小柄で臆病な娘だけが遅れをとることは目に見えている。親としてはなんとも切ないではないか。<br />　ところが、ある晩のことである。風呂に入れて着替えも済ませ、さあ寝ましょうという時だった。つかまり立ちにはある程度自信があるらしい娘が、布団の端をひらりとめくって内側の毛布をしっかりと掴んでいきなり立ち上がったのだ。あまりにもひょいと立ちあがったので一瞬なにをしているのかわからなかったが、自分が立っている足元の毛布を引っ張って、手の力でバランスを取って立ち上がったようだった。手で毛布を掴んでいることで立っているので、ほんの少ししかそのバランスを維持できず、娘はすぐに座り込んでしまう。しかし、なんだか私達夫婦が驚いた様子で注目していることが嬉しいのか、大声で笑って自分で手をたたいて拍手を送っている。これは、もしかしたら毛布は気休めで、本当はビビッているだけで立てるんじゃないだろうかと直感的に思った。<br />　よしこうなったらとことんやる気をださせてやろうと、夫婦で拍手で盛り上げ、すごいね、立てるね、とほめてあげる。娘も「どうだすごいだろ」的な表情で誇らしげに立つ。立てば褒める。しかし、徐々に娘の立つ位置と掴んで離そうとしない毛布の具合を調整して、立っても緩みを持たせて手の力で立てないようにしていくのだ。娘もだんだん調子に乗って何度座り込んでしまっても立とう、立とうとがんばるようになってきた。あのやる気がない娘が、自ら一生懸命立つことに努力しているのである。そして、もうただ手に持っているだけで気休めにしかならない毛布から手を離し、ついにほんの数秒だが立って見せたのだった。妻と二人で「おお、すごいすごい」と声をかけ手をたたくと、娘は同じことに挑戦して、今度は立ちながら自分で手をたたいたのだ。<br />　やった、これは完全に立っている。娘は必死な形相で何とかふらふらするのを踏ん張って立ち上がり、嬉しそうに自分で手をたたく動作を、あきずに何度も何度も繰り返した。あんなにもとことんやる気のない我が娘が、自分からこんなに一生懸命になってなにかに努力して成し遂げる姿を私は始めて見た。鳥肌が立つような感動だった。妻は笑いながら泣いていた。娘はひたすら楽しそうだ。私も嬉しくて泣けてきた。<br />　それから娘は、翌日には随分長くたてるようになり、たった二日で左足だけだが前に一歩踏み出せるようになった。三日目にはさらに長く立てるようになり、立ちながらいろんな動作を複合的にこなすようになってきた。そしてその後たった１週間で、実はもう結構歩き回っていたりするものだから、本当に問題だったは本人のやる気だけで、歩く力はだいぶ前からあったんだろうなぁとしみじみ思った。ちょっとしたきっかけさえ掴めば子供の成長は本当に早い。買う必要はないだろうと思っていた子供用の靴も、今となっては用意せざるを得ない。うまいもので上手にバランスを取ってこけたりしないで歩けるので、走り出すのも時間の問題だろう。<br />　こんな話を私の母親にして「我が娘ながら僕に似て本当にのんびりしたものでさ、ようやく立てるようになったよ」と、幾分誇らしげにいうと、「あんたの場合、確かに1歳4ヶ月ぐらいで歩き始めたけど、無茶苦茶どんくさくて、こけてはしょっちゅう頭打ってたわね」と言われ、「なんと娘は早くも父親を超えていたのか」という事実が発覚し、ちょっとしょげた。<br /></span> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>子育て</dc:subject>
<dc:date>2008-05-26T11:23:33+09:00</dc:date>
<dc:creator>吉村ゴンゾウ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
</rdf:RDF>